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宮崎から宮城へ

宮城県山元町にて久しぶりにイベントをおこなってきました
スターターのMINMIさん若旦那さんがおこなっているフェスティバル
”フリーダム宮崎”
そのフェスティバルからからたくさんの支援物資をいただけるということで今回は開催してきました
”宮崎から宮城へ愛を”と称し
宮崎の牛肉やマンゴをはじめ、野菜や日向夏ドリンクなど
本当にたくさんの宮崎の特産品を送っていただきました
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昨年もこの企画はおこなわれたのですが前回は名取市の閖上のみなさんへ提供しました
今年は
この企画の発案者でもあるMINMIさんにも現地に来ていただき
ライブもおこなってもらいました
久しぶりの山元町でのイベントでしたがたくさんの町のみなさんが集まって下さいました
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もう二年も経つのに支援物資とは?
震災後の支援の在り方の一つに
物資提供はしすぎない方がいいという傾向があります
たしかに
その地域での消費が増えませんし
もらう事に慣れすぎてしまうと自立を遅らせてしまうということはあると思います
そういった点ばかりが注目されていますが
本当にそうなのか疑問に思います
いろいろな方と東京でお話ししていると震災直後は自分はどこそこに行ってこんな活動をしたなどと
良く聞きます
その時に自分は聞きます
「今は?」
「最近は行けてないんだけどね」と
「あの人達は元気かなあ」とかえってきます
すべての人が知っているはずです
今回の震災は今までとは訳が違うという事を
未だ帰れるあてのない人たちがたくさんいる事を
自立とはどうすばいいのか?
消費とは何なのか?
被災地域に暮らす人がその地域で震災前と同じよう消費することはできるのでしょうか?
未だ仮設住宅での生活者が多くいる中
そして圧倒的に人口が減少してしまった町で
町の中での消費を高めるといっても人口が減ってしまっては販売する側に利益は生まれません
まだ元の生活をできていない
家も何もかも失ってしまった方々が以前と同じような消費をするのでしょうか
これまでの震災は震源地もしくは被害が酷かったところから円を書くように被害地域がありました
ですが今回の震災はそうではなく津波被害も至る所でおき
原発事故からの被害も甚大です
これまでに起きた事がない出来事が起きているのに
これまでの復興パターンや復興イメージを多くの人たちが持ってしまっています
自分たちが現地に行けば現地のお店にいきます
ガソリンだって現地で入れます
もっとたくさん人がくれば観光としてにぎやかになる
そういった解決策も出来るところは在ると思います
でも
今回は被害地域が多すぎるのです
すべてがそうではないからこそ
震災から時間が経った今だからこそ
それぞれが震災当時に関わりをもった被災地のみなさんと繋がる事が大切なのだと思います
それぞれの地域の今を知る必要が在ると思います
それは一方通行な支援という形ではなく
まったく新しい震災被害の今と、どうしたら復興していくのかを学ばせてもらうための大切な交流だと思います
震災当時と同じような物資提供をしているのではなく
現地の繋がって来た皆さんと交流イベントをしているのです
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宮崎もかつては大変な災害に見舞われました
その宮崎の人が自慢の特産品を持ってきてくれて自らが提供をしてくれました
きっと宮城の被災地のみなさんの記憶に残るのだと思います
いつか元気になったら家族で宮崎に行こうねとも言ってくれました
宮崎の人も喜んでくれました
フェスに来てくれたお客さんにみんなのおかげで宮城のみなさんが笑顔で喜んでくれたよと
現地にある団体が開くお茶会などはもうメンバーも限られ交流会としての機能を果たさなくもなっています
長く続く仮設生活ではいじめなども発生しています
これまでの”震災”とは大きく違って先が見えない
という不安がみなさん一人一人にさまざまな形で現れています
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だからこそ
もっと多くの人たちが交流することが大切となってきます
現地に滞在している人には
近すぎて言えない事もあるはずですが
こうした
にぎやかなイベントをおこなうと普段顔をださない人も集まってきますし
いろいろな愚痴をこぼしてくれたりもします
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この山元町でのイベントはそのさらに先を行っていて
山元町のお母さん達が準備をし
フリマを開いたり,カフェを開いたりと一緒になってイベントを作ってくれています
かつて何ヶ月か段ボール生活をしたこの大ホールでみんなが笑顔で集まれる
そのことはとても直接的な復興とよべる瞬間なのだと思います
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もちろんそれぞれに経済的な復興が大切ですが
一日でも”復興”と感じる事ができることのほうが大切なのではないかと感じました
日本中が被災地への温度低く、行政も頼れないと思っている皆さん一人一人からしたら
そんな一日を体感できることがまた明日を生きるチカラにもなるのではないかと思います
この日
当時この避難所で生活をされていたたくさんの家族のみなさんと再会しました
そして一緒になってイベントを作る事ができました
もちろんラブフォーニッポンのメンバー達もたくさんあつまってくれました
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一階のバーベキューエリアでは
毎回ラブフォーニッポンバーベキューをつくってくれている小金井象二さんが準備をし
魂同組のみなさんやエアスタージャパンさんも手伝って下さり
モナビードリンクさんもドリンクなどの提供をして下さいました
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みなさんまだ暗いうちから東京を出発し
交流が終わって片付けて帰ると夜中に東京にたどり着くという
過酷な24時間をがんばってくれていました
“FREEDOM宮崎”からスタッフも来て下さり
始まりから終わりまで宮崎からの贈り物をみなさんに提供してくださりました
会場の大ホールでは
宮城の地元からもナルミキッチンさんフリゴレスさんが参加してくださり
ワークショップでは
SiMPLE(YOGAスタジオ)さんが東京から来て下さり
みなさんにYOGAを教えてくれました
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山元町からは
山元TIMEのみなさんがミサンガワークショップをおこなったり
貝殻アートのワークショップや
小学校の教材を使った工作ブースなどをつくって下さいました
終止子供達がにぎやかにそれらを楽しみ
神戸からのゆるキャラ”わるタン”も大人気でした
あと東京から
ヘアメイク&ハンドマッサージチームも参加してくれました
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そして今回もビンゴ大会の賞品を提供してくださったCHUMSさん
ライブステージでは伝手プロジェクトから
ジュニア渚さん(マジシャン)と加納真美さん(パントマイム )が参加して下さり
子供達を楽しませてくれました
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ライブではイズミカワソラさんとkolkataさん
いつも参加頂いている青谷明日香さん
そして久しぶりに真戸原直人(アンダーグラフ)さんも参加いただきました
ライブの最後はMINMIさんがメンバーを引き連れ出演いただき
しっかりと宮崎からの贈り物を届けて下さいました
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福島からも福島中央テレビのみなさんがお手伝いに来て下さいました
だれがスタッフか、そうでないかともわからないくらい助け合い
笑顔や笑い声が絶えないにぎやかな一日となりました
被災当時ずっと避難生活を送っていたこの中央公民館で
またみなさんに逢える事ができ
みんなでいっしょに笑顔あふれる一日を作れた事が本当に嬉しかったです
中央公民館のみなさんも本当に朝から夜遅くまで協力頂き助かりました
ありがとうございます
またイベントの告知などしてくださったりんごラジオのみなさん
震災から生まれた被災地ラジオ局りんごラジオ
当時は本当に緊急のニュースを24時間態勢で流していましたが
こうして嬉しいね楽しいねというイベントを紹介してもらえることに
一歩ずつの復興が始まっているのだと実感しています
まだまだ山元町はじめ津波被害地域の今後は先が見えていません
仮設住宅生活も長くなって来てあらたな問題も生まれています
お互いが”ありがとう”と言い合える形がここ山元町ではじまりました
どうぞみなさん
これからも山元町をよろしくおねがいします
Candle JUNE



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