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12月11日月命日に行われたお母さんたちとのディスカッション

原発事故から8年目となり、私たちラブフォーニッポン の月命日の活動は仮設住宅訪問から、復興住宅やこども園、小学校訪問が多くなりました。

福島各地でお母さんたちから色々とお話を聞いています。表に見えなくなってきている問題を教えてもらったりしています。

下記は12月の月命日のスタッフレポートです。

是非最後まで読んで見てください。

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2018年12月11日月命日 at 福島市立みなみ幼稚園 Discussion Report

参加者:こどもを持つお母さんたち  LFN担当:山さん、國元なつき

テーマ《東日本大震災以降の”福島”と聞いて思うこと》

それぞれが付箋に思うことを書いてもらって張り出した後、3つのテーマに分けてみました。

●=付箋に書かれたこと =付箋についての意見

『私たちは今もなお、見えない線に囲まれて生活をしている』

【こどもたちのこと】
●今もしょっちゅう届く放射線のこどもへのアンケートがめんどくさい

放射線のことで「診療を受診しますか?」などの内容だが、アンケート量が多すぎ。 本当に多いんですよ!

●外遊びをする場所に気をつかう

●外に出て遊ぶこどもが減ってしまった

●屋内での遊び場が増えた。キッズパークなど屋内のこういう場所が増えたのは嬉しい。

●子供のたちの健康についての心配は少しは減ったのか?

(LFNからの質問) 放射線の心配が消えない限り、減ることはない。

【食べ物のこと】

●放射線量の調査
財政的な問題はあるかもしれないけど、線量計(放射線監視装置(モニタリングポスト))を撤去するのは反対。
アンケートとかたくさんとるくせに、この件に関して県 民の声も聞かずに撤去し始めた行為に怒りと不安。
やっぱり線量計があった方が、安全確認が出来て良い。

●友達にリンゴを送るけどそれってどう感じてる?本当のことが心配。

昔から友達に福島の果物を送っているけど、原発事故以降どう思って受け取ってくれているのか心配。

聞きたくても聞けない。

●お米は全袋検査しているから栃木や群馬の方が心配だったりする。

福島産ばかり非難しているけど、栃木や群馬の方が危ないんじゃないかと思う。 検査してるのになんで福島産ばかり!嫌がられるのが悲しい。

●たけのこと栗がNG

キノコ類も危ないと聞いている。

●福島産の野菜やフルーツは安心と言えるようになった?(LFNからの質問)

市場を通して検査しているものに関しては安心。。。と思う。

一番困るのがお裾分けでもらう野菜とか。検査されていないものは食べないようにしているけど、断れないから非常に困る。
とくに年配の方が自分の畑で採れたものをくれる。
年配の人は、自分たちは”今更被曝しても”と思っているからそんなに問題視していない気がする。

【放射線のこと】

●はなこが家の子になった。

避難していった友達が置いていった犬を家で引き取った。
当時は悲しいことだったけど、今となってはうちに、はなこが来てくれて嬉しいこととなっている。

●原発事故後、福島の自然ってすごくいいと感じるようになった。
●福島はすごくちょうどいい町。

母1:ちょっと行けば海も山もあるし、湖もあるし、自然がいっぱいでいい県だと思う。
母2:福島じゃなくたってあるじゃん。
母1:そうなんだけど、なんかすごくそう感じるようになった。

●こけを見るとやっぱり心配になる。この苔は放射能を吸収していないかな?線量が高いのでは?と気になる。

●友達が放射線被曝を気にして山形に引っ越してしまった。しょうがないけど、離れて寂しい。

●変わらない福島三春に住んでいます。三春だからなのか何も変わらず生活をしている。

【その他、ディスカッションから出てきた意見】

■こどもへのいじめ
他県に避難しても、福島から来たというだけで子供達がいじめられることがある。

このいじめは子供たちから発信されたものではなく、
他県の親御さんの放射線やニュースの理解不足、知識不足によって子供に伝わっていったものがほとんどだと思う。
8年経った今でもそのいじめへの不安が消えることはなく、
もし自分の子どもが他県を訪れた時にいじめにあったらどうしようと不安。

■嫁に来てほしくない

将来子どもが生まれた時、障害がある子どもが生まれるのが不安で、福島出身の女には嫁に来てほしくないと言われるようになった。
8年経った今でもそう思われるのではない
かと不安な女性は多いと思う。

■損害賠償金

ホットスポットの位置によりもらえたりもらえなかったり、たくさん貰えたり少しだったりで、人々の間にギクシャクが起きていた。
あの町の人はあれだけ貰っているとか、あの人は医療費タダだとか、
金額が公開されてからみんなが言うようになった。

■避難できる人、できない人
お金の問題とか、家族内でも地元を出たい出たくないとかがある人たちもいた。
避難した人たちを羨ましくもあり、それが妬みにも変わり、避難した人たちが福島に帰ってきた時には
「福島から出ていったくせに」という人たちが現れた。

自分の感想
『今もなお、見えない線に囲まれて生活をしている』 みんな悪気があるわけじゃない。

お母さんたちも福島の人たちもみんな分かっている。

ただなんとなく、そうなって、知識がないまま、ただなんとなくそうなって、

いつのまにかジャッジするようになって、見えない線ができて、

その線に囲まれて生活をしているという。

気にしていたら生活出来ないから前に進むけど、その見えない線はずっとそこにあって、

この先もずっとその薄く敷かれた不安の中で生活をしていくんだなと、覚悟はしているという。

こういうことを震災当初は友達と話したりしたけど、

この何年かは話していないし話す機会もない。

気にしないように生活をしてきて、

気にしていなかったはずなのに今日改めて話し始めたらたくさん出てきて、

やっぱり気にしているんだと思った、と話してくれました。

福島を訪れ始めこの何年かの間にJUNEさんからも聞いていた見えない線。

正直、月命日の時にその線について福島の方々に聞いてみたかった。

でも少ない時間の中で、しかも初対面の方々にその方がどういう人生を過ごしてきて、

どういうことに苦しんできたのか見えないまま質問をするのが、傷つけてしまうのではないかとなかなか怖くて聞けなかった。

こういうディスカッションの場があると少し聞きやすくなる。

それでもどう聞き出したらいいのかの言葉のチョイスは何年たっても本当に悩む。

皆さんに聞ける場を作ることが正しいことなのか、

福島の方々にとって傷つかないことなのか分からないけど、

これだけの不安を未だに抱えて暮らしてる皆さんが自分たちから世間に言えないのなら、

LFNを通して伝えていくしかないと改めて思いました。

心の傷が癒えるのは永遠にかかるかもしれません。

でも国民みんなでこの見えない線を消せた時、少しはそれが復興なんだと思います。

話している時は少し辛いかもしれないけど、

見えない線を消すために福島の皆さんのお力をLFNに少し貸していただける場が必要だと感じました。

楽しい時間を福島に持って行くとともに、

福島の皆さんの声を持って帰り伝える活動がLFNと思います。

この活動に多くの方々にもっと理解いただきサポートをしてもらえる にはどうしたらいいのだろうと思います。

下記はこの日アメリカから参加してくれていたアーティストKATのSNSからの引用文です。
ほぼ私のレポートを要約しているものなのでその まま掲載していただいてもOKです。

LFN visited “one of the kindergarten in Fukushima on 12/11. It was an amazing day of singing and dancing with the children and getting to chat with their mothers and hear their stories about life in Fukushima 8 years after the Tsunami and the Fukushima Nuclear Plant Accident. They are so strong and resilient in the face of such a unique and difficult circumstance that got thrust upon them. The more we can go to visit Fukushima and hear their stories in person the more we can understand how to help them. Some families were forced to evacuate, some weren’t, some were given financial compensation, some weren’t compensated at all. Some left for good. Some couldn’t for financial or family reasons. Some who left were bullied in the communities they took refuge in for being from “Fukushima” and 8 years later when things seemed safer they came back only to be shunned for leaving in the first place. The social trauma here is very complex and there is no black and white solution to fix everything. More than anything we felt like it will take a lot of prayer, love and forgiveness and not comparing ourselves to our neighbors to heal this mess. But then.. we think that it’s not just Fukushima that needs this but all of us. We can’t force change on anyone but we can start by changing ourselves and believing the best in others.

國元なつき

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