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9月11日に山元町で「キャンドル」を作り、灯しました。

2012年9月11日

宮城県山元町にいってきました

個人的にこの9月11日という日は
毎年意識高くもち過ごしてきましたが
震災のあった去年はあのテロのあった日という以上に
月命日のひとつという意味合いでの一日であったとおもいます

ですが今年の9月11日はもうすこし違う、
たしかにテロのあったあの日から今を噛み締める一日となりました

9月10日
前日の夜から山元町に向かい朝早くに到着

午前中は繫がりのある仮設住宅で暮らす親子を訪ねてきました
もう一年ほど暮らしている仮設のお宅にお邪魔して、
震災からここまでのお話を聞かせてもらいました

解消されない仮設住宅の様々な不便さ、
またそれぞれが一戸建てに暮らしていたひとたちの集まりであり
集合住宅で過ごすなかでおきる摩擦など、
夏のあつさの大変さ、
冬の寒さの事などたくさんのことを聞きました

たくさんのボランティアや団体、メディアが訪れていたころと
今起きている問題は明らかに違い、全体的に喪失感が漂っていました

ただお母さん達と一緒に写真をとり、
あいさつをかわして仮設住宅をあとにしました

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仮設住宅の周りは
リンゴの木のリンゴ達は赤く色づき始め
残暑のあつさも心地よく感じる山からの風があり
ほとんど車や人通りもないその仮設周辺は
とても平和な田舎の風景でもありました

様々な植物が実をつけ、虫たちの鳴き声も、そのすべてが
何というのか、しあわせな夏の終わりの風景でした

さっきまでこの風景の一部でもある仮設住宅のなかで聞いた、
たくさんの悲しい話とのギャップが
もしかしたらそれらすべての風景を
よりいっそう美しく感じさせたのかもしれません

お母さんが日よけ対策でつくっていたゴーヤの
のびたカーテンの中からゴーヤの実をいくつか
もっていってくれと手渡してくれ
次の約束の場所に向かいました

次の場所は
お子さんが通っていた山下第二小学校
校長先生が素晴らしい人だったらしく
すべての生徒を的確に避難させ、
また心配して学校に来る父兄にも対応したおかげで
学校での津波被害にあった子はいなかったらしいのですが
学校自体の津波被害がひどく
残念ながら今年取り壊されるそうで、
なんとかこの思い出残る学校とのお別れ会を
ラブフォーニッポンにてつだってもらえないかという相談を頂きました

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多くの子供たちとそのまた両親達はここ山元町をはなれ、
仙台など仕事が在る町に引っ越しをしてしまっています

人口減少率がトップの山元町の未来は暗く
高齢化も進みます

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とてもセンスのよいこの学校の中をまわり
至る所に津波の足跡を感じてきました
お母さんが小学生のころに出来たそうで
自慢の小学校だったようです

まだ何ができるのかわかりませんが
これから検討していきたいとおもいます

午後には山元タイムに到着し
お母さん達とキャンドル作りをはじめました

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今年の9月11日から月命日の11日にキャンドルを灯すだけでなく、
避難されているお母さん達と一緒にキャンドルをつくる
そんなことをはじめます

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これまで日本では
キャンドル作りのワークショップなど
おこなった事がなかったのですが
毎月自分が灯すだけでなく、
避難されているみなさんと共に作り、
それを少しずつでも販売をして
できたらそれぞれの町や、
それぞれの家族で月命日の11日に灯してもらえたらと考えました

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作業はおもいのほか大変で時間がかかりましたが
たくさんのスタッフが集まり、
そしてバーベキューを用意してくれた
塩釜の平塚さん達も参加してくれたおかげで
夜はバーベキューを楽しくおこなうことにもなりました

この日は午後から降水確率が80パーセントだったようですが
夕方から雷があるものの、
雨はふらず、強風だった風も止んでくれて
暗くなった頃からロウソクを灯し始めました

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山元タイムを取り仕切ってくれている
山下さんのお宅でおこなっているのですが
ここの庭には小さなサークルがあり
そこにロウソクを灯し、
あつまってくれたすべての人としばらく丸くなりました

とくべつなお祈りをしたわけではありませんが
きっと津波がきた場所にいまでも行きたくない人もたくさんいて
まして夜にはもっと行きたくないというひとが多くいますが
ロウソクを囲み、ひとつの輪になった時、
ここには静寂ときっとそれぞれの祈りが
そこにいた人それぞれにはあったのだと思います

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その夜が終わるまでロウソクは灯り、
それぞれが飲んだり、食べたりし、
東京からのスタッフはそれぞれがお母さん達から
いろいろな話を聞かせてもらいました

青谷明日香さんも昼からずっと手伝ってくれていたのですが
夜にはみんなのために歌をうたってくれました

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宴は夜遅くまで続き自分たちはそのままそこに泊めてもらいました

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次の日
早朝から作業を開始してキャンドルの仕上げに入りました

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山下さんの家の前は一面が田んぼだったらしいのですが
のびきった草を重機をつかって掘り起こす作業が朝から始まりました

そこにたくさんの鳥達が集まっていて、
なぜなのかはじめは気づかなかったのですが
鳥たちの巣がたくさんそこあってなんとか守ろうとしていました

津波が来る前は一面田んぼで
たくさんのお米がつくられていたところでしたが
塩害のために手つかずとなった場所には
人の背丈ほどのいわゆる雑草といわれる植物達が
ダイナミックに成長し、
その森の中には様々な鳥達が家族をつくっていました

そのたくさんの鳥達の家族を知ったのは
大きな重機でまた田んぼを復活させるために
根こそぎ耕す作業があってのことでした

またこの光景を見ているのは
今ほとんどの人が住まなくなった津波被害住宅の家の中からでした

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昨日の午前と同じで
ただそれらすべての出来事や光景が、
ただただ美しい風景のように受け止めている自分がいました

ロウソク作りの仕上げ作業は
すべてをせず、
またあらためてたくさんのお母さん達に集まってもらって
仕上げてもらう事にして山元町をあとにしました

この旅に出発する時、東京は夜中で
震災があった直後からほとんど変わらず、
東北との行き来をしているなあと思いながらも
何か大きく感じ方がかわったというか、違いを感じていました

震災直後から半年、一年くらいまでは、
まるですべてがハリウッド映画のようで
東京にいても
どこに行ってもばたばたしていて、
なにごともわかりやすく、喜怒哀楽も激しい感じでしたが
最近はちょっと昔の日本映画のような感じがします

被災地にいってもダイナミックな時間の流れや
感情が溢れているのではなく
見る景色もいわゆる悲惨な光景は
目にしなくなってきています

むしろ青々とした草花がその悲惨さを覆い隠し、
平和な大草原にも見えてきます

それと同じで人々もより深くに感情を閉じ込め
一見するととても平穏に見えてしまいます

いいのかわるいのか
ここにはもうわかりやすい感動はなく

日本には、もともとなかった”ボランティア”という言葉も、
もうやはり似合わなくなってきています

ただ
今ここ被災地と言われる所にはきっと
日本の美しさがある
そう思えます

なにひとつ諦めるつもりはありませんが
それでも
ここにしかない日本の美しさを
もうすこし多くの日本の人に伝えたいと思いました

9月11日のたくさんの悲しみの魂たちにも
今を生きながらもあの悲しみから進めないで
立ち止まってしまっている多くの人たちにも
たくさんの人たちに伝えたいと思いました

みなさん
よかったらまた一緒にいきましょう

どうぞ
よろしくおねがいします

ありがとうございました

Candle JUNE