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災と生活、そして熊本に思うこと

象形文字

一番上の三本線 ///
が川

その下に逆方向にある三本線 |||

氾濫を堰き止めるための衝立

その下に


火と水と、僕らの生活のバランスが
過剰に崩れることをさすようです

今福岡大分に降りかかる豪雨も

かつて爪跡を大きく残した津波も

未だ収束しない原発も

英語でdisaster
同じく、生命や社会へのMassive Attackをもたらす事象

転じて

人間による大失敗をさすこともある
the party was a disaster = パーティは散々でした

そのうち日本でも若者が
あのパーティ、災いじゃね?
とかもいいそうな気もします

さらに辿るとラテン語の悪い星回りの意

星廻りにしても、
火と水のバランスにしても、
災は
人間社会の外側からやってきます

キャンプに行くときには
ここ大丈夫かな
とか
それなりに考えるのですが、
都市に暮らしていると
どうにも忘れがちです

思えば、

311が起きてから、
なんらかしら
手の届くことで被災地域に繋がらないかなと思ったことから
いろんなプロジェクトを経て
今LOVE FOR NIPPONに参加しています

当時、母と兄家族と暮らしていたのですが、
仕事は暫く凍結となることが多く、
どうしたものかと考えていた

計画停電が起きる中、
兄嫁が家中の電球を片っ端からLEDに変えた始めたのをみて
今いるところからできることで繋がってみよう
と思ったのを思い出します

困っている人たちの役に立ちたい
繋がることで生まれる何かが人を後押しするかもしれない

もちろんそういう使命的なことも思っているのですが、

それよりも
想像できないことが起きてるから見ないとわからない
ということの方が大きかったように思います

岩手に行き、
宮城に行き、
福島に行き、

そこで出会う、
そこに暮らす人たちの営み

そして、その人たちと
話したり何かをやってみる

そんな旅を続けて早数年

熊本に行って思ったこと

もともと、熊本はあまり頻繁に地震が起きるところではなかった
だからおばあちゃん達世代も地震を経験した事がほとんどありません

人生でちょっとした地震を体験したことのない人にとって
熊本地震は、悪夢の災害であったと思います

発災当初市内を訪れた時に、
とある建物のひび割れが
それ以上広がらないように
ガムテープを貼っていたのが印象的でした

そしてその現状は
仮設暮らしの方々は未だ4万数千
東京ドームのナイターが満員になるくらい
それだけの大災害です

熊本地震が起きて
LOVE FOR NIPPONでは、
熊本で活動するメンバーが立ち上がってくれました
野原農研の家族です

野原さんたちも
住居は被災し、
当時は自分たちの会社の倉庫に
畳を敷いて暮らしていたのですが、

誤解を恐れずに言えば
まぁなんとも楽しそうに被災していました

もちろん大変なのです

でも
大変な時だからこそ、
明るく振る舞うその姿勢が
輝いて見えたのを
覚えています

そして、そこに集まってくる
サポートメンバーたちも
みんな素敵な人たちでした

そんな流れが同時多発的にいろんなところで起き、
繋がっていくことが

一番の復興への足がかりなのでしょう

あれから
もう1年3ヶ月
たかだか1年3ヶ月

南阿蘇の再構築もまだまだ時間を要します
熊本城の再建には20年以上を要します
福一の収束はもっとかかるのでしょう

どうせ人生はそれなりに大変です
だからこそ、
どんな時も明るく楽しく生きたいものです

手近なところから
日々できることで

そんな族であり続けたいものです

熊本、
また、行きます

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2017年7月吉日
国元正臣

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