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ラブフォーニッポン現地参加スタッフレポート

ラブフォーニッポンに参加してくれているスタッフたちのレポートです
 
それぞれの得意分野で参加して下さったり
何でも屋さんとなってくれたり
高齢者のみなさんとの話し相手となってくれたりと
月命日の一日を豊かにしてくれている仲間たちです
 
今年から参加してくれているスタッフも多く
特に福島への想いを行動に変えてくれているみなさんです
 
今年最後の報告となりますが
来年もまた1/10に代々木公園でイベントを開催するなど
精力的に活動をおこなっていこうと思っています
 
みなさま今年も本当にお世話になりました
来年もどうぞ
よろしくおねがい致します
 
 
CandleJUNE
 
 

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なかなか心の内を言葉にして話すことができなかったことがあるのですが
7.11の月命日の時にハンドマッサージをさせていただいたお母さんの話です。。

マッサージをしていると、ポロポロと心の奥にしまっていた気持ちを話してくださいました。

「四年経っても孫が見つからないんです…。まだ赤ちゃんだったんです。瓦礫があって行けない場所があって、

もしかして、あそこに行ってあげていたら見つかったかもしれないのに、後悔ばかりしているんです…夢にもあらわれなくて。」と

「後悔をしているお気持ちはきっとお孫さんも辛いと思うので、、
お母さんが、お孫さんのことを思い出す時に、

お孫さんがお空で元気に幸せでいることを祈ることができたときにきっと夢に出てきてくれると思います…」
と言うと何度もうなずいてくださいました。
「いままで、このことは誰にも話せなかったけど、不思議ね、何だか今日は話せたわ。」
とおっしゃっていました。
お母さんは、話す前は表情がかたく顔色も白かったけれど,終わる頃には顔色も良くなって素敵な笑顔をされていらっしゃって良かったなと、一つ私にも何かできることがあったような気がしました。

また1人お母さんが、

高台に住居があり、何か危ないことが起きたらトランシーバーで呼ぶからとトランシーバーを持たせられ下ではバスが待機をしていたという話や。

「震災の日、星が本当に綺麗でな、おら、いままで生きてきた中であんなに綺麗な星を見たのは初めてだ。

死んだ人が星になるって、あれは本当の話なんだな。」と涙を目に浮かべて話されていました。
それから、四年たっても夜空だけは見れないとおっしゃっていたので、わたしは
「夜にキャンドルを灯します。亡くなられた方のために、幸せでいてもらえるようにJUNEさんのキャンドルが灯されますので、いつかお空をまた見れるように、今はまだ見れなくてもキャンドルを見に来てください。」とお願いをしました。

そのお母さんはキャンドルナイトを見にきてくれていました。

お母さん達の想いが深くて、心にずっとしまったままで、ずっとレポートにできませんでした

私というよりもこの活動を続ける仲間たちの気持ちが人の心を温かくして
ほどいてくれるんだなぁと思います。
本当に素晴らしいなあと思います。またこれからも参加して自分のできることをしたいと思います。

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12/11 永田農村広場仮設住宅地訪問

夜半からの大雨で渋滞し、東京を抜けるのに時間がかかり、予定より遅れての到着になってしまいました。「重役出勤ですか^^」とバーベーキュー担当のスタッフさんに冷やかされ、焦焦しながら、
それでもコーヒーをいただく。

岳(だけ)温泉というところへ行く途中にある山、土、木がある場所の仮設住宅地。
郡山よりホッとする風景です。
ここには浪江町のみなさんが暮らしていらっしゃいます。

郡山のお兄さんが遊びにいらしてて、毎回お会いできています。
ちょっと最近、体調が思わしくないみたいですけど、この月命日になんとしても参加しようという気力でいらしたそう。
「動かなくなると、どんどん弱るから」と、仰ってました。

和室でベッド2台を置いてロミロミをさせていただきました。
「マッサージってしたことない」という方が2人続けて来てくださって、
もみほぐされるのを初体験していただきました。

初めの方は 最近、ご自宅を持たれてここの仮設から引っ越されたそう。
でも知らない土地での新生活は寂しくて、しょっちゅうここへ遊びにくるのだそうです。
「こういうみんなが集まる機会はうれしいわあ、楽しい」って仰ってました。

そのお二人の後に、ロミロミしたのは60代の女性でした。Rさん。
マニキュアもきれいにされて、リラクゼーションには1ヶ月に1回くらい行くそうです。
山登りが大好きで、この辺りは山に登ることができるので楽しいそうです。
身体を動かすことが大好きで、とても活発にされてるみたいです。
お身体は凝ってはいるけどお元気で、お子様のご家族、お孫さんとの行き来もあり、楽しく過ごされているご様子。
うつ伏せで20分くらいロミロミして、仰向けになって、胸の辺りをほぐし出した頃、
「ここで2年我慢してくださいと言われて来た」、というお話をされだしました。
それから、仮設の住宅機能が良くなくて(スペース、音の問題)ご主人と仲違いをしてしまうこと、浪江の自宅は震災の1年前にリフォームしたばかりだったけど、もう住めないと思っているということ、その家の中の状態を詳しく、今の浪江の放射線数値、、、鬱積しているだろうことが とつとつと出て来ました。

わたしはご縁あって、福島に来させていただいて、他には氣にしていないことや場所もあるし、知ったような、ことを言うつもりはないけれど、
帰り道に思ったのは、
消費のほとんどを都市部がしていた電力を、製造していた原子力発電所のある場所に暮らしていた人達の今ある現状に、福島を包括するすべてのもの、国、同じ国の人、東日本の地域の人たちetcからの、思いやりはどのくらい福島に届いているものなのだろう、、、って。
足りてるのかしら?(足りるということがあるのかな?)
知ってはいるのかしら?
”自立”ということを言う人がいるそうだけど、この方達の財産は海と山と土だったのだと思います。

永田農村広場仮設地には小学校の女の子ひとりしか子どもがいないそうですけど、この日はたくさんの子どもがやってきて、みんな仲良く楽しそうに遊んでいました。子どもはどこでもいつでも120%で生きてるなあって思います。

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「樹齢300年の木を切ったんです」

「線量が高くて。何度もおこなった高圧洗浄では落ちきらなかった。除染には数十億かかりました。」

「子供は減りましたが、今日は子供たちが楽しそうで良かったです。」

と福島県にある福島大学附属幼稚園の園長が話してくれた。

11月11日の月命日。

園庭には線量計が。

その横でキャッキャと走り回る子供達。

FUKUSHIMA311のメッセージカップには

「おもいっきりお日様に当てたい。もう大丈夫と思いながら4歳の娘の洗濯物を一度も外に干したことはない。」

「震災から4年経ち、何がどう変わったのか?。時だけが過ぎていく。」

「全国の愛あるご支援ありがとうございます。皆様の愛に支えられ、心も体もあたたかくなっています。これからも福島を応援してください。きっと恩返しできる子供達になると思います。」

と大人たち。

「テニスの選手になる」

「バスケット選手になる」

「子供を産む事を手伝う看護婦さんになりたい」
と将来に夢と希望を持った子供達。

福島県に単身残っているお父さんも話してくれました。

「震災後、子供達と妻は県外に暮らしています。でも、中学校は戻ってきたいと言ってるんです」

「私も家族みんなで暮らしたいんですけどね。」

と。

朝から賑やかな子供達の声は
夜になるまで園の中に響き渡り
大人たちもにっこりしていました。

先の見えない状況の中ですが
お母さん達もみんなえがおでした。

でも、
ポツリポツリと
心の内のお話をしてくれた時は
苦しい迷いの中をぐるぐるしているんだってことも知りました。

話を聞くことしかできない自分の無力さに落ち込みながらも
福島の人たちは
「いつも来てくれてありがとう」と言ってくれるんです。

震災・原災がなければ出会えなかった大切な人たち。

自分にできることを精一杯したい!と改めて感じ
子供の笑顔に希望をもらった1日となりました。

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9.11は台風が過ぎ去ったばかりの郡山にある仮設住宅へ

避難生活を4年半以上続けているお母さんたちは
LOVE FOR NIPPONの到着を
いつも朝早く起きて
あたたかい
美味しいごはんを作って待っててくれるのです

到着した途端
「大丈夫だったか?」
「すごい雨だったなぁ」
「怖かっただろう」と
東京からの
LOVE FOR NIPPONのみんなを気遣ってくれました

広いとは言えない
仮設住宅で20人近くの大人が肩を寄せ合い
朝早くから作ってくれたごはん

たくさんの美味しい美味しいごはんをいただきながら
色々なお話をしました

「昨日の雨の音が大きくて
風の音がビュービュー鳴ってて
なんだか震災の時の不安な気持ちが蘇ってきたよ」と。

「東京はどうだったか?」
「来るときは通行止めにはなってなかったか?」
「何かあったらすぐに逃げるんだよ」

と真剣な表情

そしていつものにっこにこの笑顔になって
「あぁーよかったよかった!元気に会えて」
と握手を交わし
その後の
9.11月命日を共に過ごさせていただきました

そして翌日の東京湾地震

地震の後
電話が鳴り出てみると
昨日、一緒に過ごしたお父さんお母さんからでした

「大丈夫だったか?」と心配な様子で連絡がきました

みんなが無事であることを伝え
そして
「また元気に会いましょう」と言って電話を切りました

3.11で大切な家族や故郷、思い出の品々が手の届かないところにいってしまった人たち

そんなお母さん、お父さんたちは
いつも会う時には笑顔で冗談を言ったりしている

現在も仮設住宅に住んでいて
先の見えない未来に不安も抱えているみなさんが

いつも
みんなのことを想ってくれている

とても
とても
あったかい人たち

きっと震災がなければ
出会えなかったみなさんと、いつしか本当の親戚や家族のように繋がっていることを実感します

10月11日は楢葉町のみなさんが住む仮設住宅へ行きます

こちらも
久しぶりの訪問となりますが
みなさんに会えるのがとても楽しみです

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9/11 台風も去ったこの日、心温まる時間を過ごさせていただきました。
今回は、郡山市の仮設住宅にお邪魔させていただきました。

仮設のお母さんたちは
「早くおいでおいで、中に入って入って♪待ってたのよー。」
と到着した私たちを
仮設住宅の中に招き入れてくださいました。
そこには
テーブルに乗り切れないほどのたくさんの手料理がずらりと。
一瞬にして幸せと感動が押し寄せてきました。

お母さんは私たちに「疲れたでしょ。早く座って沢山食べて休みなさい^ ^」と言ってくださいます。

朝早くからお料理を作っていたはずでお母さんたちのほうがお疲れだと思うのに。

美味しいご飯。
ご馳走様でした!

私にとって福島は
「心の底から幸せ感じられる場所」です。

今回ネイルをさせていただいた方の中に82歳の女性がいました。
その方の手はとても柔らかく優しい手でした。
すると・・・
その女性は

「ずっと農家をしていたの。とても、黒くて汚い手だったんだよ。でも、震災があって土いじりができなくなってな、おかげでこんな綺麗な手になれたんだよなあ。」

と話し始めました。
そして、
話の最後には、

「土いじりができなくなったことを悔やんでもな、しょうがねーもんだかんな。死ぬ前に綺麗な手にしてくれた神様に感謝だよ。」

とネイルした手を見つめながら
笑顔でお話して下さいました。

とても前向きに生きるその女性から私は強く生きるPowerをいただきました。

ラブフォーニッポンに参加させてもらってから、
福島へ行く私に
「何のために行くの?」
と聞いてくる方がいます。

私は、「行くと幸せになるんです。」と答えます。

ネイルを終えたあとの
皆さんの笑顔と
「ありがとう」の言葉にたくさんの幸せをいただきます。

笑顔が笑顔で結ばれて
笑顔の点が線になり
笑顔の輪ができますように♡

また、私はラブフォーニッポンのメンバーとして福島へ向かいたいと思います^ ^

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