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日光山久保でのお米作り”脱穀”
日光山久保地区にて福島のみなさんとつくるお米作りは
前回稲刈りを無事に終えました
今回は干していた稲を最終行程である”脱穀”をおこなうツアーをおこなってきました
残念ながら前日からの長雨で
稲がぬれてしまっていたので今回は脱穀ができなくなってしまいました
夏のツアーでも
”山久保だいこんを作ろう!!”とあつまった時も
天気がわるく出来ませんでした
こうした農業体験ツアーでの問題点ともなってしまう天気ですが
それでもここ山久保のみなさんは
雨の場合のプランも考えていてくれています
この日は
とうがらしの最後の収穫があるということで
みなさんでとうがらし畑に向かい各々で赤や緑のとうがらしを採りました
日光も紅葉のシーズンとなり
所々の木々が色づき
ひたすら農作業というより
そういった景色などを楽しみながらの1日となりました
午後には
日光観光地をバスでまわったり
以前ブルーベリージャム作りなどを体験させていただいたところに
シクラメンの花を観に行くなどして楽しみました
またお昼ご飯は山久保のみなさんが地元の食材でのおいしいご飯を用意してくれていました
春から始まったこのツアーに東京から参加してくれている家族達が
これまで作業優先していると
福島のみなさんとの交流がなかなかもてなかったということで
今回は
お昼ご飯の前にゲーム式のコミニケーションワークショップをおこなってくれました
みんながより一体感を持ててそしてまた
良い意味で競い合ったりと楽しい時間が生まれました
今回山久保で出来たお米は販売はしませんが
新潟でできたお米は販売します
先日検査も終えて無事に袋詰めも終わりました
そしてまた今年はもち米を新たにつくりました
今年最後の福島でのイベントではそのもち米をふかし
新潟や東京、宮城や山久保から集まる人達と一緒に餅つきをしようとなり
福島のお母さん達は盛り上がってくれています
ここ山久保でも
来年はお米はもちろん、もち米や野菜なども作ろうと地元の方々とも話しています
日光東照宮など日光観光の地域と一山こえた場所にある山久保地区は過疎が進行しています
それでもこうして
福島の原発地域から避難して郡山で仮設生活を続けているみなさんと
東京から農業体験したい家族などを迎えてくれている今は
にぎやかになりつつあります
福島から飛び散った放射能が日光にも飛んできました
福島の悲しみが日光にも悲しみを生んでしまった
そんな事実も確かにあります
観光も激減してしまったなど
現実的にはまだまだ厳しい事ばかりかもしれませんが
それでも
お互いがいがみ合っていても
それは新たな悲しみしか生み出しません
山久保の悲しみへ
福島の悲しみが訪れた事で”喜び”が生まれました
”悲しみ”は人のこころです
何十人かだけの笑顔かもしれませんが
たしかにここには生まれています
福島の人のことば
”おだがいさま”
たすけあうことがこんなにも楽しく嬉しい事なのかと
当たり前のはずのことがこんなにも大切なことなのかと学ばせてもらえた一年でした
自分たちが組み立てたツアーでは最後の日が雨で
できなかった”脱穀作業”を
数日後
福島のみなさんと山久保のみなさんが連絡をとりあい
あらためて福島のみなさんが自走で山久保に向かい
脱穀をやってきてくれました
電話があり
「じゅんさんみんなで山久保行って脱穀して来たよー!」とうれしそうな声が届きました
山久保の田んぼのオーナーの阿久津さんは
もう高齢でそろそろ田んぼやめようと思っていました
福島や東京から手伝いにいくからなんとか続けませんか?と説得して始まった
このお米作りツアーですが
手慣れたお母さんたちが脱穀を手伝ってくれて本当にうれしかったと言ってくれました
”おたがいさまでありがとう”
戦争やテロではなく台風や地震や津波は起きるものです
みんなで助け合ってよろこびあうことが”福興”
いままでの復興というものは社会的な目に見える復興であって
本当の復興とは
もっとこういった交流の先にある福が興るものだと思います
自然界がおこすことは必然なことです
そこにそのものにたいしては憎しみは生まれないはずです
憎しみが生まれるのも人の心
悲しみには喜びを
そして出来上がったものはかならずおいしい物となるはずです
それはまたきっとだれかを幸せにするはずです
来年ももっと多くの喜びのお米をみんなで作りたいと思っています
みなさん
どうぞこれからもご協力をよろしくおねがいします