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日光山久保での稲刈り

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日光山久保でおこなっている福島で避難生活を続けるみなさんとのお米作りツアー
その稲刈り作業をおこなってきました
福島のお父さんお母さんたちと東京から参加した家族たち
みんなでおこないました
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今年のお米は
これからさまざまな交流の場所で”もちつき”が出来るように
ラブフォーニッポンからお願いをして生産するお米の半分は”もち米”とさせてもらいました
そのもち米の田んぼを手作業の稲刈りをみんなでおこない
もうひとつの田んぼは福島のお父さんたちが機械も使っておこないました
何十年も米作りをしてきた福島のお父さんお母さん達は
ここが自分たちの田んぼであるかのように
慣れた手つきで黙々と作業をされていました
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ラブフォーニッポンの理事のメンバーもみなさんと一緒にひとつひとつ稲を干すなど汗を流しました
お昼には山久保のお母さん達がご飯を用意してくれて
稲刈りが終わったばかりの田んぼで、おいしいお昼ご飯をいただきました
バスの運転手さんもご近所さんも集って
またそれぞれからの差し入れなども合わさり
にぎやかで豪華なお昼ご飯となりました
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ここでのお米作りも
二年の月日が経ちました
ラブフォーニッポンの被災者のみなさんとのお米作りが始まったのは新潟中越地震の震源地棚田からでした
そこでできた繋がりから
あらたに
過疎化が進む農業放棄地を盛り上げようという
ここ日光山久保にと繋がりました
当時
もう田んぼをやめると言っていた阿久津おじいちゃん
そのおじいちゃんの田んぼで2年間お米を作らせてもらっています
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東京からや福島からも
少しずつメンバーは増え
小さな子供たちも始めてのお米作りをここで体験しています
この日
稲刈りのあとには
阿久津おじいちゃんの
蜂蜜づくりを見せてもらったり芋掘りをしたりと
山の暮らしを存分に体験させてもらいました
日光も
また寒くなってきました
これから来る冬をこえて
春になると
福島のみなさんのなかでも
帰村する人達が増えていきます
原発周辺地域でも徐々に帰村できる町が増えています
素直には喜べないことですが
お年寄りのみなさんの多くは帰る事を選択されています
たとえ田畑を復活させる事ができても
それを販売できるかどうかはわからない状態です
それでもきっとみなさんは復活させたいのだと思います
販売できなくとも安く買いたたかれたとしても
やはり、きっと自分たちの田畑を耕すのだと思います
自分は
新潟の中越地震後から震央地で田んぼをやらせてもらっています
これまでに農業を続けているみなさんと接して来て
そしてこの長い避難生活を続けるみなさんと
こうしてお米作りをおこなってきているなかでそう感じています
帰村することを止める事は出来ませんし
田畑を作る事もとめられるものではありません
東京や各地で
「福島には行かないほうがいい」
「福島のものは放射能で汚染されている」と言われることがあります
一方では
「福島を食べて応援しよう」
「観光誘致をもっと積極的におこなおう」
という国の動きもあります
もちろん福島の中でも
「あれは食べないほうがいい」とか
「あそこはいかないほうがいいよね」と話している姿もよくみかけます
でも
「国が問題ないといっているのだし
補償もそれほどでないのであったらたくさん作って売らないと食ってけない」
という声も聞きます
あまりにも大きな出来事があり
どうしようもないことだとわかったときに
「正解はない」
「それぞれの考え方でいいのではないか」
という答えがこの三年間で出来上がって来ているように思えます
震災から原災が起きた時に
よくチェルノブイリのことが話題になりました
福島とチェルノブイリとの違いは強制力だと思います
強制的に退去させられたチェルノブイリ周辺の住民に対して
福島ではそこまでの強制力はなく
それぞれの自治体の意向を尊重するという形でした
警察も行政にも強制力は感じられず
おなじ被災者である立場の人間達が
かろうじて線引きしているような状態でした
それは今でも続いています
おなじ被災者でも役場で働く人は
町の人達の苦情を受ける側
町の人達の安全を守る側とならなければいけません
避難区域とされている所でもずっと住み続けている人がいます
行政の言う事を聞いて黙って避難した人達は
自宅に住み続ける人に行政が食べ物を届けたりしている事を非難しています
ニホンは震災大国であり「震災から復興」
ということは得意なのかもしれません
しかし
原発災害という災害に対しては経験がありません
多くの人が震災という言葉で括ってしまうから
正しく原災の意味を理解しない国民が多く
放射能の恐ろしさを違った形に曲げていってしまいます
被災者の声を聞き
早く帰れるようにしてあげようと国は除染をしていきます
本当にきれいになるとは思えない除染でも
予算を使い除染した事実を作っていきます
原発自体が安定した状態になったわけでもないですが
除染してすべての地域が元に戻っていくような錯覚を作り出しています
毎年
お米作りをおこなっていると
田植えや稲刈りはたくさんの人が集い、みんなで協力しておこなうものだと感じます
近所の人や親戚などみんなが協力しておこなうもの
山から来る水がなければできません
その水がきれいでなければ、土がきれいでなければおいしいお米はできません
福島の生まれ育った家で
代々受け継がれて来た田畑を耕したい
その想いはとても大切な事です
でも
代々受け継いできたものは田畑だけではなく
土や水もですし
仲間ともに生産しともに喜びあうという事も受け継いできているのだと思います
三年お米作りを続けて来た今
来年には帰りたいという方がいた時に
自分は止める事はしませんが
それでも
「来年も新潟や山久保でいっしょにお米をつくりましょう!」と
誘い続けます
自信を持ってみんなにおいしいって食べてもらえるものを
一緒に作り
これからの未来のこどもたちに
これらすべてを教えてもらいたいとお願いをします
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田んぼは一人でも作れるのかもしれません
でも
たくさんの仲間で作ってたくさんの仲間で喜びあい
美味しいねって言える事が
本当にこれからの日本でもっとも大切にすること
伝えていくべきことなんだと感じています
今年も残すところわずかですが
山久保でできたもち米で
福島のこどもたちとともに餅つきをしてみんなで美味しく食べたいと思います
来年からのお米作りには
福島の都市部の若い親子にも参加してもらって
子供たちの笑い声も山久保の山々に響かせる事ができたらと考えています
どうぞみなさん
これからもラブフォーニッポンをよろしくお願いします
そしていつも感想やご寄付をいただきありがとうございます
今現在の活動との時差がある報告となって申し訳ありません
今年も最後までがんばりますのでよろしくおねがいします
ありがとうございました
CandleJUNE

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