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福島からラブフォーニッポン
福島に通っています
珍しく沿岸部でも雪が積もり
厳しい寒さをむかえています
震災直後たくさんの皆さんから頂いた物資を持って何度も通った常磐道ですが
当時はかなりのでこぼこ道だったのが、今ではすっかりきれいになり
交通網の復興の早さを感じます
未だ警戒区域などのサインがあらわれます
これはこれまでの”震災”というものではなく
今でも
かわらず原発は事故の途中であり
なんら終わってはいない事をみせつけられます
朝方は多くの車が通り渋滞にもなるこの先に原発で働く人々が集まりますが
広野町の道路標識には、はるか遠い東京の文字があらわれます
すむ町を失い、いまでは危険なその場所にあらたな仕事をしに向かいます
広野の町から久ノ浜に向かい
皆さん喜んでくださり
笑顔でたくさん記念撮影などおこないました
ここでは
またお茶やお菓子などごちそうになり
みんな集まってくれて新たな今の現状をつたえてくれました
県庁でも現状をお聞きしつつ、3・11の追悼式典の打ち合わせなどさせてもらいました
福島市文化センターでおこなわれる追悼式典イベントにラブフォーニッポンとしてもキャンドルナイトをおこなうなどして
協力させてもらえたらと現在検討しています
雪が多く積もる福島で
震災直後と変わらず行き来する中で変化した事は放射能数値を計らなくなったことです
この多くの雪はどれだけさまざまなものを含みこの福島の大地に落ちてきているのだろうか
またはまったく数値など出ずに大地をきれいにしてくれるのかと考えはするものの
数値を計る事よりも、写真を撮る事よりも何より
ここで暮らす人々と少しでも多くの交流を優先していることが、きっと震災からここまでの自分のなかでの進化であり
笑顔で迎えてくれる人々がいることが進化したことだと思います
みなさんのご寄付で活動が続けられていますが
みなさんから託される物資を目に見えない人に手渡すのでなく
見える人に手渡し、交流が生まれその先にこうして笑顔で迎えてくれる関係が出来上がってきています
避難している方々は
テレビカメラがむけられたら言えない事も
また、たとえそこでカメラに対して言えたとしても、実際にはカットされてしまうような事も
自分には伝えてくれる確かな関係が構築されつつあります
未だ”絆”というにはほど遠いですが
様々な状況の福島の人々と繋がる事が出来ています
またその人たちが
あらたな人たちを紹介してくれ
その町の状況を聞く事が出来ます
決して業務的なことはなく
信頼が信頼を呼び
たしかな絆の一歩が始まります
最近では
福島市に多く避難されている浪江町のみなさんとの交流がはじまりました
震災当時
町民の多くが数値の高い場所に避難してしまい
そこからまた転々と避難を続け、ようやくここに落ち着いた人々です
「5~6カ所を移り住み,その度に子供達がいじめられたからもう移動はしたくないんです」
そんなことをここのお母さんは話してくれます
また
「小さな子供はまだ放射能検査の診察が暴れたりしてできないから4歳になったら連れてきて!といわれ
それはちょっとおかしいのでは?と言うとじゃあ
「お母さんも一緒に行動してたわけだから、お母さんを検査するでいいんじゃないですか!」と言われた
大人と幼児では違うでしょうと誰もが思う事でもここでは何かがくるっているんです」という話も聞きました
ここにはあらためて3/3に仲間達と一緒にイベントをしに行きたいと思っています
訪れた日は編み物教室など開かれていましたが、みなさん楽しそうに過ごしていました
そのさなかにこういったお話を聞くわけですが
楽しそうにしているひとりひとり
それぞれ過酷な問題があることを想像するとやるせなくもなります
自分に出来る事は東京の人間として
ひとつでも多くの問題を聞く事であり
まだ
なんとか被災地を,被災者を救いたいと思う人たちの間に立ち
確実にその想いや,物資を届け、またそこに生まれている問題を持ち帰り伝達することであり
想いや物資、ひとつひとつが喜びとしての瞬間を作り出し
生きる事への勇気となれたり
人と繋がる事への喜びとなれるようにこれからも繋ぎ続けたいと思います
東北の被災地を支援することであればラブフォー東北であればいいと思います
この体験したことがない、津波被害と原発事故から学び
あらためてこの日本が生まれ変わり
すべての出来事に感謝できる日を迎えられるようになりたいとラブフォーニッポンとしました
東北から帰る高速
ひとつの旅を終え、東京の風景になじむときにいつも考えます
どうぞみなさん
これからもよろしくおねがいします
CandleJUNE