report |
福島のみなさんと新潟でお米作り
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ラブフォーニッポンでは
福島の仮設で暮らすみなさんと新潟中越地震震源地の棚田でお米を作っています
今年は福島市の幼稚園や小学校の親子にも参加してもらい
にぎやかに田植えから草刈りなどをおこなってきました
そして
秋に入り無事に稲刈りを終えました
稲刈りのこの日
福島からはもちろん新潟各地からそして東京から参加者が集り
棚田に向かいました
田んぼまでの道のりは遠く
虫をつかまえたりカエルを捕まえたりと子供達はそれぞれに楽しみが在るようでした
前の日までの雨が心配だったのですが
この日はみごとに晴れてくれました
しかしその雨で
田んぼはぬかるんでいる所もあり稲刈りなのにどろだらけという過酷な稲刈りとなりました
新潟の棚田は特有の稲の干し方で”はさ木”に稲を干していきます
田んぼから子供たちも稲をはさ木まで一生懸命運んで、高い所まで投げて渡してそれを干していきます
仮設に暮らすおとうさんおかあさん達はすべてが手慣れていますが
はじめての若い親子たちに教えながらということで
かなり大変な作業となっていました
世代や地域をこえて一つの田んぼを作って来た集大成の稲刈りをみんなでがんばりました
なんとかすべてが刈り終わって干す事が出来たらおまちかねのお昼ご飯です
それぞれが持ち寄ったごはんを並べて
そのまま田んぼでいただきました
福島の子供達は棚田へのあぜ道を歩き虫を捕まえたり
どろんこになって田んぼに入ったり
刈り取った稲を大切に運んだり
外でみんなでごはんを食べたりと
それらすべての行為がはじめてのことばかりです
特に震災当時外遊びを禁じられ
幼稚園で砂遊びもできなかった子供たちが
新潟の棚田でのびのびと虫を捕まえたり泥遊びをしました
そして春の田植えから福島のおじいちゃんおばあちゃんたちに
自然のことや田んぼのことをしっかり教わってきました
また
新潟や東京からの子供たちとも仲良くなり
その都度
再会を喜びあったりしていました
そして何より
こうして子供たちに少しでも様々な体験をさせたいと思ってくれているお父さんお母さんたちです
震災当時みなさんの子供たちはまだ小さく
ミルクもなくおむつもなくガソリンもない‥‥
どうすればいいのか途方に暮れたり‥‥
たくさん当時の話を聞いてきました
娘をもつお父さんからは
「将来この娘がちゃんと結婚出来るかが心配です」
という話も涙とともに聞かせてもらいました
自分はその事に対して
何もかえす事ができませんでした
ただ唯一
同じ歳の子をもつ親として
自分の子供が将来もし福島出身の友達や恋人が出来た時にどう接する事が出来るのかを考えました
いっしょにお米を作る
お父さんの心配を安心することにはならないかもしれませんが
自分にできることは
いっしょにお米を作る事
我が子に託せる事からはじめようと思いました
話がそれるのかもしれませんが
今現在もたくさんの悲しい事件や戦争やテロが起きています
とても大きな事で
何故?起きて、その後はどうなったのか?わからないままのことも多くあります
でも本当に被害にあった方々
そして残された家族達はどんな想いなのか?
大きな惨事でも
その後みなさんがどうなったのかわからない事が多く在ります
そして
忘れ去られていきます
正確にはまた次の新しい事件やテロなどで埋め尽くされてしまうからかもしれません
被害者にはわかっていることも加害者や傍観者にはわからないことがあります
原発事故の被害者や加害者は?
そして傍観者は誰なのでしょうか
「福島」でくくられて
そこのみが被害地域でそしてそこに原因があるのでしょうか?
決してそうではないと思います
新潟中越地震の被災者だったみなさんは
たしかにかつては”被災者”でした
でも今このお米作りでは”支援者”となっています
福島の仮設で今も暮しているみなさんは今も”被災者”です
ですがこのお米作りにおいては
福島や新潟や東京の田植え初体験のみんなの先生です
福島の子供達の両親たちは
仮設に暮しているわけでもなく支援を受ける事もできなかった”被災者”です
ですが子供たちにとっては誰よりも”支援者”であり
きっとどんな地域の保護者よりも
子供たちの未来のことを考え毎日子供たちを支えています
自分はこれまで
広島の”原爆の火”から始まり悲しみの生まれた場所を灯し繋いできました
新潟のこの地で10年間活動続けて来て
そしてこの311の出来事から福島に通い続けてきた今思う事があります
「ボランティア」という行為
「支援活動」という活動
「CSR,CSV]などの在り方
それらすべてが外来種であり
どうしてもこの日本ではなじめないものなのではないかと思います
そして
こういった考え方、繋がり方にすることで大切な日本の文化が失われているのではないかとも
それらの言葉のアクションには
「継続、成果、評価」などというものがついてまわります
個人にしても団体にしてもです
時にこれらはリスクある行為に思えてなりません
これまでの震災や原災、そしてお米作りを通して
自然との関わり合い方、人と人との関わり合い方を学んだ時に
一番しっくり来る言葉は
「おたがいさま」という言葉でした
日本にはこの「おたがいさま」という繋がり方があります
きっとこの考え方や行動の在り方を再認識して実行していくことこそが
日本をそして世界を豊かなものに変えていくのではないかと実感しました
ニッポンの美意識とはきっとそういうことなんではないかと
棚田でみんなでご飯を食べているときに感じました
まだまだ日本の食の安全は不安定のままです
福島に限らず各地の水の安全も
放射能だけではなく農薬や保存料、添加物などもあります
何が正しいのか?個人の判断にゆだねられつつ在るこの時代に
できることならば
「お互いさま精神」の互助システムがもう一度この日本に広がり
そしてそれが世界に誇れるものとなれたらと夢を見ました
来年もやりたいね!!
参加したみなさんが言ってくれていました
各地には高齢化して農業ができない限界集落も増えて来ています
このお米作りツアーがそういった場所に行く事で
また笑顔がひろがって
かつ
「おたがいさまだからね」
と喜びあえる事ができたらと考えています
ぜひみなさまのご協力、ご参加も検討いただけたらと願っています
これからも
「おたがいさま!!」から生まれるお米
そんなお米がつくれていけたらと思います
みなさんどうぞこれからもラブフォーニッポンをよろしくおねがいします
ラブフォーニッポンFB
また月命日に福島のみなさんから想いを授かっています
ありがとうございました
CandleJUNE