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福島の皆さんと新潟へ
福島の原発地域から避難されているみなさんと
新潟中越地震震源地の棚田でおこなっているお米作り企画の中の草刈りイベントをおこなってきました
この日
福島の仮設に新潟から迎えのバスがでて
皆さんを長岡市川口まで連れて来てくれました
今回は
棚田のある木沢地区のみなさんのあらたな試みでもある
”ドリームキャッチャー”というイベントともあわせての開催となりました
このイベントは
震源地でもあるこの集落に
都心の親子などを招待し農業体験をはじめ
田舎暮らしやもの作りなどを体験してもらおうという企画です
初回にも関わらず東京をはじめ新潟市などから
たくさんの親子が参加してくれました
福島のお父さんお母さん達は
田植えをした田んぼ周辺の草刈りをしながらも
参加している親子との交流をもちました
ラブフォーニッポンもスタッフが東京から参加し
天気の良い一日を棚田で過ごし福島のみなさんとの草刈りや一緒にご飯を食べたり温泉に行ったりと交流をもちました
この川口には
震災復興のシンボルにもなっているツリーハウスがあるのですが
自分たちはそのツリーハウスのメンテナンスして
夕方からの交流会バーベキューの準備をしました
子供達はもちろん
福島のみなさんも喜んでツリーハウスの三階部分に登ったり
写真撮影をしたり楽しんでくれました
福島の都心部で避難生活を続けているみなさんの多くは震災前
田んぼや畑を作っていた方達です
現在は除染が進み
帰村できるといわれている地域のみなさんもいらっしゃいます
しかし
自宅周辺の除染が終わり
数値が下がっているとしても
日々の仕事は田んぼや畑での仕事だった人たちです
裏山からの様々な恩恵を受けまた山の手入れなどをしてきた方々です
その山の除染は出来ていないし
そこから流れる水はどうなるのか?
田んぼや畑はできない
出来たとしても販売する事が出来ない
だから
みんな困っています
自分の生まれ育ったそして日々を暮らしていた町は
そんな状況でも
避難生活をしている町の人には
もう除染しているのだから帰れるだろうと言われてしまう
高齢者の方々は
まだ避難してきた自分の町の病院などはやっていないので
結局現在の仮設住宅をキープしたまま行き来をすることになってしまっています
この複雑な問題を解決することは大変なことです
福島のなかで問題が大きくなっていきます
この新潟での田んぼ作りで作ったお米はほんとうに少量です
この田んぼ作りが新たな仕事と言える事となるのかと言えば
けしてそういったことではありません
またこの新潟の地に引っ越して来ては?ということも現実的には厳しいと思われます
ですが
この交流がもたらす心の健康は確かなものであると確信しています
新潟のかつての震災の主役の場所は
本当に復興したのか?と言えば
未だそうでないのかもしれません
ですが
この新潟のみなさんと福島のみなさんとの交流には
他にはない絆が生まれています
久しぶりに田んぼの泥に入り
あぜ道では山菜をとる
そしてそれらを東京や新潟からきた若者達や子供達に教える
いつも自分たちに”ありがとう”と言ってくれているお母さん達にこの日は
田んぼの事や山菜の事などたくさんを教わり自分たちが”ありがとう”と言う日となります
ボランティアとか支援活動というものには本当はこうした”お互い様のありがとう”があるはずです
そのことが
このお米作りではたくさん感じることができます
避難生活を続けるみなさんも
そんな一日を過ごす事で
日々の避難生活での悩みや不安を解消してくれているのだと思います
また
このイベントではしなければいけないということから参加している人は一人もいません
それぞれが何らかの役割をもち
たくさんの学びや喜びをもらって帰る事が出来ます
悲しみから憎しみを生むのではなく
悲しみから学び喜びへとかえる
日本人は多くの経験をしてきました
悲しみから憎しみにかえ
そして新たな悲しみを生む
その繰り返しの切なさはもうさすがに多くの人が学んだはずです
失敗をしたことを悔やむ事は大切かもしれませんが
終わった事をいつまでも責めていても先には進めません
誰のせいだとかそういったことよりも
もっともっとその失敗を生かすこと
それが大切なんだと思います
自分は本当の悲しみをまだ知りません
だから悲しみが起きた場所
悲しみを知る人に学びにいきます
自然災害は起こるものです
その時に人がどう在るべきか?
が大切で
これはもしかしたら
日々日常を人はどう在るべきなのか?
ということでもあると学びました
もうすでにたくさんの悲しみに触れてきましたが
そのすべてに感謝しています
本当に天気の良い一日に
風も気持ちよく
緑が一杯になびく棚田で
新潟や東京の仲間達と一緒に
今も福島では悲しみに暮れているみなさんと大笑いしながら歩いています
幸せとか平和とかはきっと瞬間的なものだと思いますが
たしかにこの時その二つは生まれていました
なんら変わってはいない
むしろどうしようもなくなってきている福島を多くの日本人は知っているはずです
自分の存在の小ささはわかりました
出来る事の限界も何度も感じました
でもきっとまた次はもっと良く出来る
そう思っています
諦める事が本当に悲しい事なのかもしれません
誰のせいにもせず
もっともっと”幸せだねえ”
とか
”平和だねえ”とみなが思えて
そして
”ありがとう!”
と言葉かわせる福島の人たちを増やしたいと思います
9月には稲刈りをします
どうぞ
これからもよろしくおねがいします
ありがとうございました
CandleJUNE