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福島県双葉ワールドに参加してきました
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9月に福島県川内村で開かれたふたばワールドに参加してきました
毎年開かれていた双葉郡のお祭りですが
今年は一部帰村が始まっている川内村で開かれました
ラブフォーニッポンは避難所からのお付き合いのみなさんが川内村に多くいらっしゃることから
このイベントにぜひ参加してほしいということで参加してきました
山元町でおこなっている山元タイムからも山下さんが来て下さり
ミサンガワークショップをおこなってもらったり
アポロガスさんによるキャンドル作りなどをおこないました
また
新潟中越地震震央地で福島のみなさんといっしょにお米作りしているメンバーも杵とうすをもってきてくれて
餅つきをおこなってくれました
餅つきには
若い親子や震災後から繋がりのある地元の方々がたくさん参加してくださり
つきおわった時にはおもちをもらう長蛇の列ができていました
川内村は山の中にありアクセスもあまりよくなく
一部はまだ線量の高いところもあるので
そこまで多く集らないだろうと思っていたところ
各地仮設住宅からもバスが出て本当に多くの地域から集まりました
震災から3年半以上たち
この川内村のふたばワールドでたくさんの「久しぶり!元気でしたか!」がありました
各地の仮設からもですが
川内村に戻っているお母さん達
また各市町村の役場の方々など
震災から知り合った方々との再会の場所となりました
前日から川内村に入り
いつものお米作りメンバーのお父さんの実家に招かれ
そこで前夜祭がおこなわれました
いつもの仮設で逢うみなさんとは全く違い
自分たちの家
自分たちの村に招待しているという気持ちがとても伝わりました
それぞれのみなさんがどこでどんな生活をしていたのか
どのくらいの田んぼをやっていたとか
どこに松茸があるとか
それぞれが代々受け継いで来た生活を確かに感じさせてもらいました
先祖のお墓や
田んぼや畑、山々など自分の事だけでない
大切なものがここにあるということを確かに教えてもらいました
みんないつかは帰りたいと言います
それはきっと今のここではないと思います
ずっと受け継いで来たことや自分たちが育てて来たものがあるあの時に帰りたい
代々受け継いで来たことをこの先にも残したい
そう思った時にみなさんは考えます
本当にこの場所に孫達が帰って来ていいのだろうかと
自分たちの代までのことと
これからの子供たちの事を考えるとみなが考え込んでしまいます
どれだけの日本人が6号線が開通されている事を知っているのだろうか?
高速道路も富岡まで行く事が出来て
そこから降りれる事を知っているのだろうか?
そこは未だに信じられないくらい線量が高いままなのです
多くの双葉郡の方に 道路が通れる事をどう思うかと聞いたら
「町の人以外がおもしろがってくる人もいるからどうかと思うよ」
「自分の家への行き来は楽になったけど、でも線量が高いから入っちゃだめって言っていたのはナンだったんだろね」
「測道へは入れないようになってるし、バイクはだめとかなってるけど
あきらかに数値が高いところに警備員のおばちゃんが立っていて”ここからはだめですよーっ”て言ってる。
このおばちゃんはだいじょうぶなのか?って思うよ」
「みんなが帰りたいって言ってるから通行止めを解除して
早く帰れる印象を与えていき、放射能もたいしたことないってことにしたいんじゃないの」
宮城の山元町からの高速道路も
南相馬までではなく浪江町まで通すということです
浪江町のみなさんは未だ避難生活を続けています
町のみなさんは複雑です
飯館村は数値が高く全村民が避難させられました
でも道路は早くから開通しました
誰もいない町を車は通っていきます
警察は警備をしますが
その数値の高いところに長時間いてもいいのでしょうか?
飯館村のときの数値の比ではない数値が6号線や高速道路開通地域ではあります
3年以上が経過し
福島のみなさんの放射能への意識の変化を感じています
数値が高くても警戒心が薄くなり
気にしなくなって来ている人が増えて来ています
これには
「数値が高くてもなかなか除染してもらえなかったし、除染してもその辺に置いてるだけだしね」
「震災当時のあのときに比べたら低いからさ」
と言った声を聞きます
仮設のみなさんも食べ物に関して
「大人は一ヶ月もしたら放射能は身体から出てくから食べても平気だあ。子供はだめだけどな」
といった事が普通になってきています
ふたばワールドは
本当にみんなで楽しくしよう!!というパワーを感じるお祭りでした
どうしようもできないこと
よくわからないこと
当事者でなければわからないこと
様々なことがあっても
それでも
みんな笑顔でがんばろう!!
そんな意思表明を感じるものでした
震災から3年8ヶ月という言葉ではなく
原災から3年8ヶ月という言葉にするだけで
多くの日本人が意識を変えてくれるのではないかと思います
これからも月命日は福島で活動を続けていきます
どうぞみなさん
ラブフォーニッポンをよろしくおねがいします
CandleJUNE