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2013,12/25福島でクリスマス会
2013,12/25
今年お世話になった方々へ挨拶まわりと仮設で暮らすみなさんのクリスマスパーティに呼ばれ
福島へ行ってきました
いくつかの仮設住宅をまわり
最近の状況を教えてもらったり、クリスマスツリーや鏡餅を各家々にお届けしたりしてきました
もう雪が多く降ってしまっている仮設住宅は除雪が大変であったり
三回目の冬を迎えて気がめいってしまっている方も多くいるようでした
仮設ができた当初
提供させていただいた大型のこたつは本当に重宝していますとおっしゃっていただける仮設もありました
各市町村で仮設住宅でのルールも様々なのですが
自治会長さんの考え方などでも各仮設の集会場などの在り方が変わります
自治会長さんが積極的なところもあれば相談員さんが積極的にあれこれしているところもあります
当初からかわらぬ会長さんのところもあれば
いろいろな事情から会長さんが変わっているところも多くあります
初期に出来た仮設はどこも快適とは言えない作りのところが多く
後期に出来たところはとても出来が良く
そのまま移築して住宅にも出来るようなものもあります
今回の震災で福島の方々はすぐに県外に避難された方
現在は避難先に住所を移された方
そうせずに現在もあくまで避難としている方
当初は県外に避難したがいじめにあったり支援が受けれなかったり
情報が入らないなど様々な理由から福島に戻った方
避難所から借り上げのアパートなどに移った方
各地の避難所を転々として借り上げに、または仮設に入った方
仮設住宅が出来次第入居した方
仮設で暮らしたもののいろいろな事情から借り上げに移った方
借り上げから仮設に移る方(去年くらいから増えているようです)
避難生活をされている方は浜通りの方が圧倒的に多いのですが
仮設が会津地方にできたことで
冬の雪が本当に大変でいわきなどに移る方
自分の町にかえることをあきらめ他の町に家を建てた方
また町としても
会津に建てた仮設住宅の入居率がわるいのでそのままいわきに移設する町もでてきました
震災被害や放射能被害、風評被害はあったがなんとか自宅で生活している方々など
これ以外にもたくさんのケースがあると思いますが
国や県が
徹底したルールの一律化があればもう少し問題は増えなかったのでは?とも
思ってしまいますが
町によっては仮設時住宅に支援センターをつくり
しっかりとしたサポートをする町があれば
避難生活者達をサポートするより
町にかえれるように除染に予算を多く用いている町もあります
支援センターがある仮設のみなさんにはたくさんの支援が継続しておこなわれます
今回の震災では仮設が学校などの公共施設敷地内に建たず
山の中など目立たない地域に多く建ちました
同じ町の人
同じ仮設住宅生活者でも暮らしている仮設によって受けられる支援に大きな差が発生します
借り上げ住宅でのみなさんは仮設の皆さんとちがって毎日が孤独とのむきあいで支援もないといいます
そういった声が多くあがると
行政は平均化をとなり支援を断り、かつての事例などを当てはめるので
そろそろ過剰な支援はやめて”自立”をとなります
たしかに多くの人が言う支援することで自立心がなくなることは在ると思います
ですが
仮設に暮らす方々はほとんどが高齢者です
これまでになかった借り上げ住宅制度によって
若い家族の多くは仮設には入りませんでした
息子さんや娘さんの家族に呼んでもらえるおじいちゃんおばあちゃん達は子供達家族と一緒に暮らせています
それもかなわないみなさんの多くが仮設住宅に暮らしています
震災で家が倒壊した
直せば戻れる
なおれば戻れる
かつての”震災”ではそうでした
だいたい三年で仮設が減っていき自宅に戻ったり集合住宅が出来てそこに移ったりとなります
今回の福島では
そうではありません
先が見えない三年目をむかえます
普通に考えたら
高齢者支援を受けるべきみなさんが仮設で暮らしていて”自立”といわれます
徐々に
帰村ができる町が増え
かえったところで農業ができるわけでもないのに
息子娘にも世話になる訳にもいかない
死ぬなら自分のふるさとがいい
そんなことをいうおじいちゃんおばあちゃんが増えています
どうすることもできませんが
たくさんのやるせない現実が福島にはあります
自分たちの活動で
笑顔がうまれる楽しい一日はできたりはしています
ですが
それもほんの一握りの方々との交流です
福島の町を歩いていると
いろんな方から声をかけられます
「いわき復興をおねがいします!」
「仮設ばかりでなく借り上げの方々にも何かお願いします!」
「この風評被害をなんとかしてください!」
とっても大きな福島県
そのみなさんそれぞれに大変な想いが生まれています
必ず仮設住宅はいずれなくなるはずです
その時が本当に復興としてむかえられる日となるのか
それともひとつひとつの悲しみが完全に見えなくなってしまう時となるのか
できることであれば前者であってほしいですが
その時を迎える日まで
仮設住宅を訪ねること続けたいと思っています
いろんな方々の願いを叶えることは出来ないと思います
でも
そのひとつひとつを聞くことはできます
我慢強い福島のみなさんは
「自分よりも大変な人がいるから」と我慢します
そんな方々からもその人の”福島”を教えてもらえるようになりたいと思います
クリスマス会を開いてくれたお母さんお父さん達は言ってくれました
「最初は
避難所に物資とか持って来てくれたり、バスツアーで温泉とか連れて行ってくれてありがとうだったね」
「二年目はお米作りツアーをはじめてくれたおかげで元気をとりもどせたよ」
「三年経った今は
町をこえて同じ仮設でもない人同士のこのお米作りメンバーの”仲間”を作ってくれたことに感謝だよ!
仲間が亡くなったときにも助け合えたり、元気がない人を励ましたり、新年会で温泉行ってみたりと
それぞれが大変な状況でも助け合える仲間ができたこと、そのことに本当に感謝です」
ようやく
何人かと絆が出来てきました
震災当時よく言われた絆ですが
これは人と人とが結ばれていることではないかと思うと
三年かかってしまいましたがようやく紡ぎはじめられました
これからはこの家族たちとともに
大きな福島をまわり、あらたな絆作りを始めていきたいと思います
二月十一日
月命日も福島のいわきにある双葉町の仮設住宅を訪れます
参加出来る方もしくは
何らかの形で想いを届けたい方は連絡ください
これからもラブフォーニッポンをどうぞよろしくおねがいします
Candle JUNE