report |
2013,3/11 あの日から二年
2013.3.11
震災から二年が経ちました
この日ラブフォーニッポンでは
福島や宮城などで活動してきました
福島では
3/9からいろいろと動いてきましたが
これら前日までの活動はまた後ほどレポートさせてください
3/11は
福島市でおこなわれる福島県が開催する追悼式典のお手伝いをさせてもらいました
そのひとつは
広末涼子さんに式典演目のひとつである詩の朗読に出演していただきました
もうひとつは福島県が昨年の3.11におこなったキャンドルナイトで集まった、たくさんのメッセージを今年も灯し
さらに今年の想いも書いてもらって灯しましょうということで、カメヤマローソクさんの協力のもと
キャンドルナイトをおこなってきました
そして会場近くの仮設住宅でもイベントをおこないました
福島市に避難されている浪江町のみなさんが暮らす仮設住宅です
こちらは3/3にひな祭りをおこなった場所なのですが(このひな祭りのレポートも改めて出します)
380名とたくさんの方が暮らす大きな仮設です
この日もお年寄りから小さな赤ちゃんまでたくさんの方が集まって下さいました
広末さんにも式典参加の前にこちらの仮設にも来て頂き
たくさんのみなさんとふれあいをもってもらいました
お菓子やお花をプレゼントで持ってきてもらいましたが、お母さん方、子供達もとても喜んでくれました
また仮設住宅のみなさんがこの日
自分たちのために
浪江焼きそばを用意してくれていました
B級グルメとしても有名なこの浪江焼きそばを広末さんはじめ
午後からきたラブフォーニッポンメンバーはみんなおいしく頂きました
ここは
浪江町の中でも津波被害のあった地区の方々が多く暮らしているのですが
みなさんのこれまでの避難生活のお話などをいろいろと聞かせてもらいました
やきそばを用意してまっていてくれるなど
一方通行でない交流が新たな町でも始まった事がとても重要な二年目でもあると感じています
またこの日は
郡山で避難生活をされているお母さん達も福島市に来ていただき
いっしょに3/11を過ごしました
そして
宮城の山元町でも若旦那さんとMINMIさんがイベントを開いてくれました
山元町のふじ幼稚園と山元幼稚園にも訪問してくれ
たくさんの交流を子供達ととってもらいました
山元町のイベント会場では山元タイムのお母さんたちがカレーを作ってくださり
集まった多くの方々へ提供してくれました
若旦那さん、MINMIさんは震災当時にここ山元町に一緒に入り
そして名取の避難所などで炊き出しなど行なってきました
一年経った去年の3,11は名取閖上のイベントに参加してもらったりと
震災直後から訪問した場所でのご縁をずっと繋げて育ててくれています
昨年も訪れた
津波によって流されてしまった幼稚園にも足を運び
その地域で行なわれていた追悼式典にも参加してもらいました
山元町ではもの作り”山元タイム”がスタートして様々な商品を作り始めています
被災地の多くでモノ作り、販売が行なわれていますが
この山元タイムでは売り上げのすべてのお金が作ったお母さん達の手元に入るようなシステムにはしていません
被災地商品の多くは材料費を除くすべての利益がお母さんに行く事が素晴らしいとしているようですが
それによっていきなり儲かりすぎる人が出たり現地格差が生まれて地域のコミニティが崩壊してしまったりしています
ラブフォーニッポンのもの作りでは参加してもらっているお母さん達には現地の時給計算に見合う金額のお支払いをしています
仮設で暮らす高齢者のみなさんのためのもの作りや
町を離れなければいけなくなった皆さんへの内職依頼など
複雑と思われるかもしれませんが、様々な形態をとっています
売り上げは
山元町でのイベントなど、町のみなさんに還元できるような取り組みをしています
一部のお母さん達だけが儲かる!そんな仕事を外部から持っていくのではなく
さまざまなシチュエーションの避難者がいるのでそれぞれにあった関わり合い方と
それらで出た売り上げが町全体への貢献に繋がり
一緒になって喜び合えるようになれたらとしています
それが
震災当時から関わり続けている自分たちだからこそ導きだした答えでもあるし
こうした節目の3/11という日をどうみなさんと迎えられるかということにもなるかと思います
この日、山元タイムのお母さん達は一緒になって炊き出しをしてくれました
もの作りが得意な人もいれば料理が得意な人もいます
少しずつでも広がりのあるコミニティになれればと思います
この春からは工業用、職業用ミシンも購入し
もっと幅広いもの作りに取り組んでいってもらう予定です
また
町の運動会やマラソン大会なども企画して、より多くの人々との交流の中心に山元タイムがあるようにしていきたいと考えています
山元タイムに参加しているお母さん達の多くは津波被害に遭われ
未だにこの先が見えない方々ばかりです
去年の3,11は何がなんだかわからないうちに迎えていたと思います
そしてこの二年目は
現実がしっかりと見えた分、この先の不安もリアルに見えて来ている3,11です
一緒に一歩づつ、ゆっくりでいいから一緒に歩んでいることが伝えられたらと思います
きっと
ここからが本当の支援が必要な
人の温度が伝わる支援が必要な時となります
山元タイムのお母さん達と一緒に,また若旦那さん、MINMIさんはじめ震災当時から山元町にご縁を感じてもらったみなさんとともに
山元町を元気にできたらと思います
福島の追悼式典では
一緒に参加してくれた仮設のお母さんたちがみな涙して
励まし合う場面などが本当に多くありました
ここ福島では宮城などにはない深い問題があります
でもみんな悲しみよりもそれ以上に感謝の言葉をかけてくれました
自分たちの活動がきっかけで励まし合える仲間が出来た事を喜んでくれました
そんなお母さん達と
一緒になってキャンドルナイトの準備に取りかかりました
同じ時間に
浪江のみなさんが暮らす仮設には
宮崎ひとみさんや海老原よしえさん、小久保淳平君や青谷明日香さんなどいつものメンバーも集合してもらい
ライブをおこなってもらいました
またこの日はハワイからリトルイーグルさんもチョコレートなどを持って参加してくださいました
リトルイーグルさんは震災当時より
遠いハワイでもアクションを起こして下さり、ラブフォーニッポンへ協力をしてくださっていましたが
二年目のこの日は現地へも参加してくださいました
まだまだ寒い3/11でしたが
本当にみなさんがんばって下さいました
スタッフは3日間ずっとというメンバーもいましたが
それぞれが出来る事と、またそれ以上にがんばってくれたおかげで
たくさんの笑顔が仮設でもキャンドルナイトでも見る事ができたと思います
この場を借りて改めてありがとうございましたと言わせて下さい
2年目の3.11
もちろんたくさんの涙も見ました
たくさんの訴える言葉も聞きました
2011.3.11
震災当時
できること全部やると決めて一年を過ごしました
2012,3.11
一年経った3/11には福島のみなさんに謝りました
もっといろんなことができると思っていたけど全然出来なかったから謝りました
でもそれでもやり続けるからと、出来ない事でも出来る人を連れてくるからと約束しました
あれから一年が経ちました
福島の人に言われました
私たちは日本人ですか?
どこからも悪者のようにいわれどうすればいいのですか?
原発地域の人はもちろん大変です
でも
その人たちが避難している場所の福島の人たちも大変です
福島を出て行った人たちも大変です
福島出身者だって大変です
いろんな福島の人たちがいます
そのいろんな人たちの声を聞けば聞くほど申し訳ない気持ちになります
福島の人同士がもめる事もこれ以上見たくはありません
自分が人を救う事なんて出来ない事は知っていますが
それでもやっぱり
福島で生まれた人
福島で暮らす人
福島を去った人
これから生まれる福島の人
それらすべてを救いたいです
自分に出来る事は少ないという事を震災当時に知りました
大きなことは出来ないけど
ずっと福島に通っていろんな人と仲良くなろうとしてきました
日本全体で復興支援の温度も冷めてきたと言われはじめた
この冬には
仮設に一緒に行くメンバーも少なくなり
お母さん達にごめんねと涙した時もありました
それでも
まだまだ友達連れてくるからねと約束もしてました
2年目の3/11
たくさんの友人が集まり
そしてたくさんの福島の家族達も一緒でした
やっぱりたいしたことは出来ていなかったけど
それでも”絆”というものは出来つつあると実感しています
まだまだできることがある
この日そう思いました
どうぞ
みなさんこれから一年
改めてよろしくおねがいします
これからも現地で直接関わり合いをもっていくための活動をおこなっていきます
みなさんのご寄付をお願いしています
様々な場所で山元タイムの商品の販売もおねがいしています
どうぞみなさんよろしくおねがいします
CandleJUNE