report |

12/11(土)SOTEシンポジウム開催報告


ラブフォーニッポンなみなさまへ
現地活動報告をさせてください

SOTEシンポジウム

 第7回目となるSOTEシンポジウム郡山会場が
無事に終了いたしましたことをご報告させていただきます。
会場は、多目的ホールの「ビックパレットふくしま」です。
数千人を収容できる大きな建物でもあるため、
ここは10年前の東日本大震災の際に、大規模な避難所となっていました。
現在は、コンサートや見本市、会議など各種さまざまなイベントが日々開かれています。

 さて、今年春から始まったSOTEシンポジウムも郡山会場が最終回となります。
締めくくりともいえる回のテーマは、「SDGsから見る福島の復興」です。
福島県内を中心に30名の方にご参加いただきました。
会場では手の消毒、マスクの着用、
ソーシャルディスタンスを徹底し新型コロナウイルス感染拡大防止に努めました。
——————————————————————————————

SOTE シンポジウム福島ラウンド会場(郡山)
2021年12月11日
13:00 開会
13:05 CANDLE JUNEあいさつ
13:30 基調講演①「なにを守るために、何を変えるのか」
    株式会社風と土と 代表取締役 阿部裕志様(リモート出演)
13:50 基調講演②「新たな福島県総合計画とSDGsについて」福島県企画調整部長 橘清司様
14:15 テーブルトーク    3つのテーブルに分かれ簡単な自己紹介と講演を聞いた感想などをトーク
15:00 休憩
15:10 トータルセッショントーク、各テーブルのグラレコ発表、トークセッション
16:10 全体グラフィックレコーディングからのふりかえり
16:20 振り返りを見ての感想
16:30 まとめ
17:00 終了

基調講演① 「なにを守るために、何を変えるのか」  株式会社風と土と 代表取締役 阿部裕志 様

阿部裕志さんが住む島根県海士町(あまちょう)は、隠岐諸島のひとつ、中ノ島にあります。
かつては人口減少、少子高齢、財政危機に喘いでいた町でした。
しかし一転、いまでは若者のIターン増で活性化した町として注目を集めています。

阿部さんは海士町に2008年に移住し、起業。地域活性に尽力されてきました。
社名でもある風と土。風は風の人=よそ者、そして土は土の人=地元を表しており、
ともに手を携えて風土を作っていることを目指しているそうです。

「超人口減少、超少子高齢、超財政難…島は社会の縮図でした。
来たるべき未来の日本とも言え、いうなれば日本の未来を創るヒントが海士町あるとも言えます。
海士町は、地元民と移住者との分断が少ないこと、島外との交流が盛んであるということの特長がありました」

そして、ヒマラヤにあるブータン王国にならって、海士町の幸福度調査を行い、活性化の一助としたそうです。
さらに官民で協働の会社AMAホールディングス 株式会社を立ち上げ。
いわば第二の役場です。

「誰か特定の人がいなくなったら途絶えてしまうのではなく、
つねに継続して生まれていくような仕組みづくりが必要でした。
持続可能な地域とは、なにを持続させたいのか。
<持続可能な地域>づくりと、持続可能な<地域づくり>。
これは似ていますが意味が全然違うんです。
町内で新型コロナウイルス感染者が出たときには、即座にチラシ作り、新聞に折り込みました。
チラシには、『もし自分が感染したらどんな言葉をかけてほしいですか?』と」

小さい町、ましてや島での感染はいたずらに不安ばかりが煽られます。
いわば先手を打って、町の人に自分事として考えてもらうという機会を作ったそうです。
「自分たちで考えて、やっていくこと、つくったものなどがあることが大事なのではないかと思います。
なにを守るために、なに変えるのか。これが大事だと思います」

短い時間のなかに要点をまとめ、大変素晴らしい講演をしていただきました。

基調講演② 「新たな福島県総合計画とSDGsについて」 福島県企画調整部長 橘清司 様

「県づくりを県民のみなさんの自分事として捉えていただく工夫が必要でした。
それは、仕事の成果を分かりやすく数値化することでもあります。
また対話型のワークショップなどで、より考えるきっかけを作りたいと思っています。
=中略= 
福島はとても広い県です。
復興に対する思いは、なかなかひとくくりにはできないものがあります。
SDGsを福島県内に当てはめてリアルな形で考えていくこと。
それは、県民ひとりひとりが身近なこととして考えられるようになることです。
策定して終わりではなく、将来のありたい姿を考えていくことが大切です」

東日本大震災以降、福島県の人口は急激に減少しているとのことで、約30万人減。
また、あらゆる福島県の総合計画が、すべて原発の廃炉が滞りなく進んでいる
というのが大前提となっているともお話しされていました。

県がなにか目標を示したとしても、やはり最後はそこに住む市民の想いが欠かせないこと。
自身が将来どうありたいかを、真剣に考えることをしなければならないと改めて考えさせられるお話しでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎テーブルセッショントーク
ふたつの基調講演のあとは、3つのグループに分かれてトークセッションを開始。
まずは自己紹介や基調講演の感想などを話しました。

「海士町の規模感はとても箱庭感があって、さまざまなものがはかりやすいかもしれない。
いいと思った。幸福度は、どこではかるか?ということも大事なことでもある」

「自分ごとで考えていくことも大事。だが自分事になったときに途端に小さなものに感じてしまうこともある」

「SDGsって、広すぎる!」

「大学の授業でやるのだけど、結局自分たちはなにをすればいいの?と思う。
話しをきくとそうだよねって思うけど…」

「SDGsというワードを使う必要がある場合、使う必要がある人、と、そうでない場合もあると思った。
伝わりやすさとか」

「SDGsを地域の方言に書き換えてやると、自分事として考えやすくなると思う」

また、あるテーブルでは、「震災から10年の風化」が話題の中心になっていました。

「10年経つと記憶が薄れてきている。確かに自分の目で見て体験したことなのに」

「原爆ドームは残されると決まるまで20年かかっている。残すか残さないか。
それを聞いたときに一定の時間がたたないと、冷静に考えることはできないのだと思う。
自分がいた場所によって感じ方は違う。今しか聞けない。そういうことをどう残していくか…」

「双葉町ってなんにもないんです。いま、これからどういう町にしていくか?っていうことを考えています」

「声や文になっていない言葉がある」

「はっきりいえることといえないことがある。ひとりだと限度がある。
人とつながっていることが大事。狭くなってしまう。繋がることで広がると思うんです」

テーブルごとのトークセッションが終わり、最後はCANDLE JUNEが進行役となって
全員で大きな円を描いて話しをすることになりました。

今回のテーマであるSDGs。目指すゴールの17項目は、そもそもわたしたちがやっていたことではないか? 
そんな話しからトークは始まりました。お互いの顔を見ながら、今日感じたことや、
思っていることをそれぞれが言葉に出す、とてもいい時間になりました。

「福島県が他と違うところはなにかと考えたとき、それは原発事故があったことがある」

「原発という言葉を使うと、かなりセンシティブになる」

「原発のイエスノーだけでなく、事故がおきたらどうするのか、どんなマイナスがあったのか。
伝えていくことが大事」

「優しく伝えることが大事だと思う。柔らかく刺激を与えないように伝えることだけでなく、
正しく冷静に伝えることが大事。誤解を招かないように。正しい情報を正しく伝える」

「海士町が行ったコロナ感染者が出たあとのチラシを配布した対応。これこそ、
伝えることだと思うし、いいと思った」

「福島は、希望しかない県だと思った。10年経って、薄れかけていたけれど、
自分事として考えるきっかけになった」

対話することの大切さ、相手に伝えることの重要さ、
そんなことを強く感じあえる郡山会場のシンポジウムでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

10年が経過した2021年3月11日
その次の日からこのSOTEシンポジウムはスタートしました

10年のさまざまなアクションの結果をまとめ
これから先「じゃあどうしたらいいのか」を話しあい、結論も出していきたい
そんな想いがありました
ですが実際開催するとそれぞれが意見を言い合うことの難しさ、
そしてさまざまな考えや想い、そして現実があることを知りました

この最終回までは結論づけを急がずにはなしあうことの有益性を皆が感じられることを優先してきました

来年の3月11日開催するSONG OF THE EARTH 311でSOTEシンポジウムはまた開催されます

1年間話し合ってきた結果をもって2年目のシンポジウムの目的を明確にしたい
そんな想いもあって臨んだ郡山会場では
思いの外、話し合った結果がみえるものとなりました

「原発の必要性などの話はせず
原発事故から10年の事実をしっかりとまとめ世界中にお知らせすること」

基調講演での話では、「ちいさな島でコロナ感染者がでた!」
即座にアクションをした内容は「自分たちで敵をつくらないこと」
「問題自体をよく考えること」だったのだと思います

この10年福島に通い続け
一番の原発事故の被害は何かというと
「福島県民同士が語り合えない環境をつくってしまったこと」
そしてそれは
「福島県民が原発事故からの被害をまとめ訴えること」をさせない構造をつくってしまった

そう感じています

放射線数値基準による避難指示や補償がなかったこと
これによって数値というものさしが正しい判断材料になりきれなかった
福島ばかりが数値が高いとされてしまったようにすべての場所で検査がおこなわれなかった
(これは生産物の安全検査も同様)

その結果、現在も原発は稼働しており
通常排出している空気中や海水にだしている汚染物質への意識も低く

福島県内の汚染土などの県外受け入れなどでも風評被害をさらに生むことにつながっています

国の判断などこれまでのしてきてしまったことを今更言ってもということではなく
もっとこうしていたらよかったのでは?
これからは必ずこうすべきだ!ということは
現在も原発を抱えている地域の、またはその近隣地域の方々がもっとも知りたいことであり
ひいては
日本全体の経済への影響にもつながることではないかと考えます

福島各地の方々は
さまざまな被害を受けてきました
そして風評被害というあらたな被害もあります

「3月11日の時だけ
県外の人は騒がしくなる」

「福島県民は静かに過ごしたいのに」

先日、福島県内での打ち合わせの際に言われた言葉です

たしかに、、、と申し訳ない気持ちになりつつも
この10年の自分の通い続けた日々が一気に頭をよぎりました
2011年前までの原発反対運動のことまでも。。
その日の帰りの車で色々考えました

「福島は危険だ!東京すら危ない!他の原発も廃止だ!」と盛り上がっていた国会議事堂前に集まる人たちをみて
自分はそこにはいかずに福島に通い続けようと決めたあの時、10年先の今を想像していただろうかと

「福島の人たちと一緒に原発はいらない!」
そう言える日まで活動をつづけたいと当時は考えていました

ですが
この10年は本当に福島各地の方々と繋がり続けることだけの10年でした
その人たちと一緒にさけぶことが必要なのではなく
みんなから聞いてきたことをしっかりとまとめあげ
東京に暮らす自分たちがそれを声にすることこそが大切なのではないか

原発事故がもたらしたさまざまな被害は福島に限ったことではなく
近隣諸国からのボイコットなどさまざまな被害を生んだ

その問題をうやむやにせずに
より良い形で解決していくことこそが
日本全体があらためて取り組んでいく必要があることではないだろうか

2022年の3月11日を追悼という意味合いだけであつまるのではなく
悲しみから学び、本当の意味での復興をむかえられるような
具体的なステップを新たに始めていきたいと思います

コロナウイルスの影響からイベントが中止となったり
たくさんの人が活動に参加できる形が取れなかったりと大変な一年でしたが
リモート開催という新しい手法や
福島県内での支部長が増えるなど
ポジティブにとらえると良いことが多くあった一年であったと思います

ご協力いただいたみなさま
本当にありがとうございました

そして
2022年もどうぞ
よろしくおねがいいたします

ありがとうございました

一般社団法人 LOVE FOR NIPPON 代表

CANDLE JUNE

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ラブフォーニッポンでは支援活動のための寄付をおねがいしています
サイトから直接ご寄付いただけるようになりました。こちらからよろしくお願いします。
https://lovefornippon.com/donation

三菱UFJ銀行
一般社団法人LOVE FOR NIPPON(イッパンシャダンホウジンラブフォーニッポン)
代々木上原支店(普通)0052628

これまでの活動レポートはこちらをご覧下さい
https://lovefornippon.com/report

ラブフォーニッポンFB
https://www.facebook.com/LFN311

月命日に福島のみなさんからメッセージを授かっています。ぜひひとりひとりの想いを読んでみて下さい。
https://fukushima311.jp/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー