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2021年12月11日の月命日

ラブフォーニッポンなみなさまへ
現地活動報告させてください

毎月11日は月命日ということで「CANDLE11th」というイベントを福島でおこなっています
「たのしいね うれしいね おいしいね ありがとう!」をテーマに福島の皆さんと一緒に過ごす1日で
最後にはみなさんの想いや子供達の夢を灯すキャンドルナイトをしています

2021年12月11日の月命日は福島県郡山市ビックパレット横の仮設住宅跡地での開催でした

原発事故後、福島県内で最大の避難所はこのビックパレットでした
わたしたちの活動の始まりは福島県のいわき市沿岸部がスタートで
津波被害地域への物資提供や焚き出しでした

原発事故からの避難を周辺市町村はしていましたが
富岡町や川内村の方々の多くがここビックパレットに避難されていました

こちらが開設されてからは物資提供などで訪問するようになっていましたが
その後長く続いた活動の一つ「お米作りツアー」の始まりもこの避難所からでした

原発事故当時は福島県だけではなく近隣の県も危険だというイメージもあり
茨城県の袋田の滝が有名な温泉街も風評被害から
ほとんどお客さんがいなくなってしまって大変だという話をいただきました

「福島の原発事故のせいで被害を受けている」

そういった地域は数多くあったのですが
同時に他県に行くと来ないでくれ!といわれた福島県の人がたくさんいらっしゃいました

私たちは福島の活動をメインとしながらも
こう言った双方の問題も何とかなればと
袋田の滝でイベントを開催することにしました
まず
温泉組合のみなさんへおねがいをしました

「何日も避難し続け、現在も段ボールと毛布で寝ている福島の方々を招待したい」と
今思えば無茶なことでしたが
バス2台をチャーターし避難生活を続けるみなさんを温泉に招待しました

女優の米倉涼子さんが発災時からすぐに
「できることがあったら何でも言って!」とおっしゃってくれて
キューピーコーワゴールドに直筆でメッセージを書いてくれて
届けてくれたりしていましたが
この避難生活のみなさんの温泉ツアーの話をしたところ
なんとツアー費用を寄付してくださるとおっしゃってくれました

当時は福島の温泉各地も避難者受け入れをしていましたが
団体客対応でプライベートがないものでした
ビックパレットにダンボールと毛布生活をしている方々に一泊二日しかないですが
夫婦や家族だけの時間、ふかふかの布団をあじわってもらいたい
そんな想いで金額も高くなってしまいました

なかなか80名を限定することが難しいと思っていましたが
避難者のなかで富子さんというお母さんと出会い
そのお母さんが辛そうな人や弱っている方々を優先に
声をかけてくれてまとめてくれました

結果的にツアーは大成功でなによりも参加されたみなさんが
「お金を払らうからぜひ続けてほしい!」そんな意見がたくさんありました
米倉涼子さんのおかげでたくさんの避難者のみなさんが喜んでくれました

またこのツアーをきっかけに
みんなで新潟中越地震の震央地の棚田でお米を作るツアーに発展していきました
中越地震を経験されたみなさんとのお米作りの最初の夜のご飯会では
それぞれの地域の方々が涙しながら笑い合い励まし合っていました

長くなってしまいましたが
ビックパレットに避難されていた方々の多くが、
となりにできた仮設住宅に住んでいました

避難所への支援から仮設住宅への支援になっても
富子さんたちとのご縁は大きくなり現在までにも続いています

支援活動をこれまで続けてきて
震災から10年の節目からシンポジウムを開催するようになりました
10年から先の「風化問題」に対してどうしていくかを考えた時に
世界が課題としているSDGsを日本でさけぶのであれば
福島のことなしでは語れない
そんな形を作りたいと考えてスタートしました

各所で開催していましたが
この12月の郡山市での開催は一年のまとめを意味する会でもありました
東京や新潟など各地から参加者が集い
月命日福島メンバーも多数そろうこのタイミングだったことから
仮設住宅の富子さんの家があったであろう場所で
キャンドルを灯して集まろうとなりました

コロナのこともあり
富子さん自身は現地に来れませんでしたが
富子さん自慢の牛すじ煮込みは届けてもらえました

仮設住宅時代はみんなが富子さんの家に集まり
多い時は30人以上がいるような時もありました

富子さんと繋がった人は
みんな富子さんのおうちでたくさんご飯をごちそうになっていましたが
なかでもおいしいと喜ばれたのが牛すじ煮込みです

ラブフォーニッポンが活動テーマとしている
「おたがいさま」ということもこの富子さんがいつも口にしていて
みんなをもてなしてくれていたからでした

仮設住宅時代はたくさんいろんな問題が発生していましたが
そのたびに富子さんの家に集まって話し合ったり慰めあったりしていました
避難当時は富子さんと旦那様と息子のしんちゃんの3人暮らしでした
寡黙なお父さんでしたが
いつかの月命日を富子さんの仮設住宅で開催した際に
めずらしく話しかけてくれた時がありました

「いつも家族や住民のみんなにありがとうございます
これからもどうぞよろしくおねがいしますね」とお礼を言って頭を下げてくれました

誰もいないところでそっと伝えてくれたのですが
なんだかみょうにあらたまっていたので気になっていましたが

それからまもなく亡くなられてしまいました

富子さんがいなかったら避難されているみなさんとこんなにも繋がることができなかったし
支援したいという仲間に避難生活の大変さを伝えることもできなかったと思います

障害を持つしんちゃんの面倒をみつつ
どんな人も優しく受け入れてくれる富子さん

仮設はなくなり、それぞればらばらになり
富子さんとしんちゃんが暮らす復興住宅はとっても綺麗で部屋もたくさんあり
生活は以前よりずっと快適になったと思いますが
以前のような賑やかさがなくなってしまいました
きっとあの頃の賑やかな感じが大好きだった富子さんは寂しいだろうなあと思いつつも
気がつけばたにけんさんが泊まりに行ってたり
おせわになった面々が時折お邪魔しているようで
月命日でも富子さんがやってきてくれたことを
今は福島メンバーがそれぞれに協力してやってくれています

「新しい仲間もできました
まだまだみんなで手を取り合って楽しく元気にやっていますよ」

12月の月命日は
そんなことを富子さんの旦那様に報告するための月命日でした

東日本大震災による死者数や被害地域というものは調べればわかることですが
現地へ足を運び活動を続けている私たちとしては
地震や津波や原発事故が繋いでくれたご縁を大切に
具体的な関わりから生まれる活動をしています

一年間で月命日は12回しかありませんが
3月11日はたくさんの方への祈りとなります
それ以外の11回はこれまでのご縁のひとつひとつを大切に
祈っていきたいと思います

この日の昼間はSDGsをテーマに
さまざまな企業家や行政の方々と福島の学生たちと話し合いました
このアクションは「SDGsを何とかしないといけないよね」という想いからではなく
「地震被害や津波被害、そして原発事故からの復興を何とかしたい」
という想いからです

変わらないものはこの世には存在しないはずです
何かの変化があったのであればそれに関係するものは影響を受けます

大地が動き大きな波が訪れ
安全と言われていたものが崩壊したのに
以前のままのルールやあり方でいるほうが不自然なはずです

10年間の被災地支援というアクションを終えて
復興活動としてシンポジウムを始めました
今はまだ少数での話し合いを重視した形としていますが
夢のような話をして終わりにすることなく
様々な問題にたいして「じゃあどうする」を提案していきたいと思います

今月も双葉町で開催予定です
今年帰町宣言したので双葉町は今が復興元年だと思います

東日本大震災からは12年目となりますが
私たちは改めてこれからまちづくりをスタートする
双葉町の一年目への復興支援をおこなっていきます

2011年3月11日
あの当時できなかった支援が今できるかもしれません
そして
今しかできないことが双葉町にはあると思います

どうぞみなさま
これからもラブフォーニッポンをよろしくおねがいいたします

一般社団法人 LOVE FOR NIPPON 代表

CANDLE JUNE

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ラブフォーニッポンでは支援活動のための寄付をおねがいしています
サイトから直接ご寄付いただけるようになりました。こちらからよろしくお願いします。
https://lovefornippon.com/donation

三菱UFJ銀行
一般社団法人LOVE FOR NIPPON(イッパンシャダンホウジンラブフォーニッポン)
代々木上原支店(普通)0052628

これまでの活動レポートはこちらをご覧下さい
https://lovefornippon.com/report

ラブフォーニッポンFB
https://www.facebook.com/LFN311

月命日に福島のみなさんからメッセージを授かっています。ぜひひとりひとりの想いを読んでみて下さい。
https://fukushima311.jp/

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