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3月11日を三年経った福島で
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2014 3/11
震災から3年経つ福島県で追悼のキャンドルナイトをおこなってきました
震災から2年の昨年は
福島市でおこなわれた福島県主催の追悼式典と共催でキャンドルナイトをおこないましたが
今年は福島県7方部すべてでおこないましょうということで
今年のはじめから
福島県各地域をめぐり、それぞれと交流を持ち、各地の特色や被災状況などを教えてもらい
共同作業で3/11を迎えられるようにつとめました
当日灯すキャンドルはホルダーにいれるのですが
そのホルダーに参加するみなさんそれぞれの想いを書いてもらうようにしました
各地域を巡ると震災復興温度は様々で
未だ問題が残る地域もあれば
元気になった姿をみてほしい、観光復活を求める声など様々です
同じ地域に暮らしていても
もとから暮らしている方々の想いと
仮設住宅ができてそこに入居している方々とはまた想いもちがったりします
今回のキャンドルナイトでは
福島県で暮らすそれぞれのみなさんの想いを灯す
それを一番のテーマとしました
3/8は県中地域の会場である郡山駅前広場で
”春蛍”という伝統和紙の海老根和紙に絵やそれぞれの想いを書き
それを灯籠にして灯すイベントとあわせてキャンドルナイトをおこないました
キャンドルホルダーへのメッセージ以上に色彩豊かな想いが描かれていました
3/9は会津地域会場である福島県立博物館で
地域の方々の合唱や演劇などもおこなわれ
浜通りから避難されているみなさんもたくさん来ていただき
巨大な赤べこたちも参加しての雪の中でのキャンドルナイトは子供たちも楽しめるものとなりました
3/10はラブフォーニッポンロードとして南相馬の仮設住宅にて
バーベキューや大道芸チーム、渡辺俊美さんや細美武士さん、ORANGE RANGEさんにライブをおこなってもらいました
相双地域は原発立地地域であり津波被害地域でもあります
キャンドルナイトだけでなくすこしでもこの地域を盛り上げたいと思い
にぎやかな一日を作り出しました
3/11の当日は
県北地域、南会津地域、県南地域、相双地域と4会場同時でおこなわれました
南会津会場では雪で巨大な山を作ったり
かまくらを作りそのなかにキャンドルをいれたりと雪の中での開催となりました
前日までも雪が降る中
多くのボランティアの方々の協力のおかげで壮大なキャンドルナイトとなりました
GAKU-MCさんも室内のステージだけでなく外のキャンドルの灯る中でもライブをしてくださいました
白河会場では
復興音楽祭として地元の方々の演奏が繰り広げられる市民会館の外で
白河ダルマとともにたくさんのキャンドルが灯りみなさんからのメッセージも多く集まりました
相双会場である南相馬では前日におこなった仮設住宅の方々にも協力いただき
地元の演目のほかに大道芸のみなさんやBr.KONEさんやイズミカワソラさんのライブなどがおこなわれました
未だに避難生活を続けなければいけない地域ですので切なる願いがカップひとつひとつには書かれていました
県北会場の福島市まちなか広場では
福島県すべての地域を表すモチーフを制作し、これまでの追悼キャンドルナイトなどで集まったキャンドルホルダーを使い
”ふくしま”という文字を作りました
ORANGE RANGEさんや
細美武士さんやTOSHI-LOWさん青谷明日香さんのライブもおこなわれました
各会場には
これまでのラブフォーニッポンロードに参加してくださったみなさんがお手伝いにきてくれたり
新潟中越地震からのつながりから手伝いに来てくれたり
各地の仮設で暮らすみなさんが差し入れをもってきてくれ
一緒に灯し、最後の片付けまでも手伝ってくれたりと
本当にたくさんの人の想いが集まってくれて作り出すことができました
一ヶ月近く
レポートが遅れてしまい申し訳ありませんでした
三年目の3/11はいくつもの出来事があり
なかなかまとめる事ができずでした
今年に入ってから福島県の様々な地域を巡ってきましたが
震災から3年経ちましたがたくさんの新たな問題を感じました
これまでの”震災”とは大きく違い震災、津波、原発事故。
被害地域が多地域に及んでいることから復興格差が発生していると感じました
これは
この三年という節目を境に今後ますます深刻化していくと思われます
被災した多くの地域が問題を提議するより
復興を訴えたほうがいいという風潮が高まっている気がします
本当に支援が必要であったり
もっともっと関心をもってもらう必要がある地域や人々が表に見えなくなっていってしまいます
もしかしたら”福島”、”フクシマ”という言葉でひとくくりにしないほうがいいいのでは?
会津地域は福島県から独立したほうがいいのでは?
”福島原発”という名前を”大熊・双葉原発”に変えたほうがいいのでは?
そんな意見もあります
福島県民同士の考え方、これからの在り方など
さまざまなものが存在しています
三年経った今だからこそ
現在の福島で暮らす人々の声を幅広く聞く必要があると感じています
もちろん聞くだけではだめかもしれませんが
ポジティブな考え方の人にも
ネガティブな想いの人達からもみなさんから感じられることは
”孤独感”でした
関心を持ち続け
話を聞かせてもらい
より多くの想いにふれる事からこの先の未来を想像していくことが
大切なのではと思います
現状の何か良くない事に対して反対することは大切ですが
ではどうすればいいのか?という新しい道を示す事ができなければ
ともに歩む道が見えなくなってしまいます
福島の方々とともにこの先を作り出していけたらと思うと
これからの月命日も
やはり多くの福島のみなさんの想いを灯したいと思います
ラブフォーニッポンでは
Fukushima311というサイトをつくりました
Fukushima311
福島の各地域で集まったそれぞれの3月11日の想いをまとめました
またFinedaysという映像アプリに協力していただき
各地の当日映像もアップしています
お時間あるときにぜひ見てもらえたらと思います
福島でも桜が咲き始めました
仮設住宅で開かれるお花見や
早くも夏の盆踊り大会などのお誘いを受けています
三年経ってもこの先が見えないということは
これまでの”震災”ではなかったことです
仮設住宅の方々へ
「震災から3年、もうそろそろ自立をしてもらわないと」
そんな言葉をよく聞きます
高齢者の方々
借り上げ住宅などに入る事ができなかった方々が仮設住宅に入っています
先が見えないその人達への「自立」はなんだかとても切ない言葉に聞こえます
仮設住宅に暮らす人達は
三年間一緒に暮らしてる仲間たちで励ましあい
花見や盆踊りなど企画して仮設が建っている地域の人達や関わり合いを持つ人達を招待しています
それらに招待してもらっている今
たしかに”キズナ”ではなく”絆”が生まれていることを感じています
震災から一年経ったときに福島の仮設でイベントをおこなったときに
「ごめんなさい
もっといろいろ出来ると思っていたのに出来ませんでした」
と謝りました
「出来ない事は出来る人に声かけて出来るようにします」と約束もしました
震災から二年経った時のイベントでは
やはり出来なかったと謝りました
3年経った今年の3月11日は
「みんなに感謝します。震災以降ずっとひとりで何かと戦って来たそんな気がしていましたが
今こうしてたくさんの人と一緒に泣いたり笑ったりしてる
それぞれの地域で
それぞれの3/11を一緒に作り出している
この場所から発信していかなければいけないことを
この場所で暮らしている人達とともに
三年かかったけど
ここからが本当にラブフォーニッポンの始まりだと思います」
そんなことを言いました
悲しみから憎しみを生み出すのではなく
悲しみから学び喜びに変えていく
地震や津波、原発事故から何を学び何を残していくのか
まだ何も変わってはいません
これからが始まりだと三年経った福島で思いました
みなさんどうぞ
ここからもよろしくお願い致します
レポートが遅れてしまい大変もうしわけありませんでした
CandleJUNE