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4年目の活動のはじまり

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3/11福島県でお世話になった方々への挨拶もかねて
福島各地をまわっています
そして
3/11追悼のキャンドルナイトで使用したキャンドルの残りを
福島市にあるアポロガスさんに届けてきました
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アポロガスさんは福島県内でガスをはじめ燃料や太陽光などエネルギーに関しての企業です
これまでも様々な地域貢献活動をおこなっているのですが
福島の各地でキャンドルナイトもおこなっており
使い終わったキャンドルの残りを使って幼稚園などでキャンドル作りをおこなっています
残ったワックスは
障害者のみなさんが働くアトリエで芯やゴミなどを取り除いてもらってから
幼稚園などで使用しているようです
3/11に使用した一万個以上のキャンドルの残りをまた
幼稚園などでのキャンドル作りに再利用してもらうために届けてきました
またあらためて幼稚園でのキャンドルナイトを一緒におこなわせてもらうお話もしてきました
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そして
最近は北海道から御協力して下さる方々がいらっしゃるのですが
今回もご提供頂いたラーメンをいくつかの仮設住宅に届けてきました
みなさんとても喜んで下さいました
「もう無償提供は止めましょう」という流れが各仮設でありますが
福島ではこれまでの”震災”という枠にはめられない状況であるため
行政が各仮設の総合的なケアをなかなかおこなう事ができず
それぞれの自治会長さんの判断などで
外部とのやりとりを進めているところも多くあります
物資争奪戦といった形も現在は発生せず
自分たちで取り決めを決めたり
自治の形が出来て来ているところが多くあります
仮の住宅、仮の生活ではなく
震災から暮らし始めたあたらしい集合住宅で
皆さん模索しながらも必死にコミニティを形成してます
現在では提供物資そのものよりも
「まだ県外のみなさんが関心や想いを持っていて下さる。そのことがとても嬉しいです」
と言って県外から送ってもらった物資を集会場にまとめてマーケット開催しているところもありました
大人数で訪問しイベント的なものを開催するときに聞けることもありますが
まめに通っていく中で教えてもらえる事も多くあります
これらをもとにまた今後の活動の計画を建てていきます
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そして
3/11の被災地活動の打ち上げ的なものを東京で桜咲く頃におこないました
3月11日は
たくさんの方々が協力してくださったので一同に集まれるような場所や内容を考えた結果
公園での花見ということになりました
この花見では宮城からも福島からもみなさん集まって下さり
そして福島のみなさんとおこなっているお米作りの場所
新潟や日光からもお米作りメンバーが集まって下さいました
普段東京からメンバーが
福島や宮城に行って現地交流しているのですが
今回は東京の花見に
被災地のみなさんが集合してくれました
いつもとは違った話がそれぞれできたり
各地域の人同士が交流を持てたりと、とても素敵な時間を過ごす事ができました
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また
新潟の米作りでは昨年からもち米もつくっているのですが
この花見の会場に新潟メンバーが杵とうすも持って来てくれました
みんなでもちつきを始めると
公園にいた子供たちがたくさん集まり
一緒にもちつきを楽しんでおこない、そして出来たおもちをそこにいたみなさんにふるまう事も出来ました
福島の避難生活を続けているみなさんと新潟中越地震の震源地の棚田で作ったもち米を
東京の花見で餅つきをして、そこに集まる子供たちにふるまう事ができたこと
ラブフォーニッポンの三年間の成長をみんなで喜び合いました
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4年目に突入した活動ですが
今年は福島の原発のある町
双葉町と大熊町のみなさんとの交流をより多く持っていきたいと思っています
福島各地をめぐり
地域ごとにある問題点など多く知る事が出来ました
それぞれに話をすると様々な問題をあげてくれるのですが
それでも最後には
「でももっと大変な人達がいるからなあ」
「原発で働いてくれている人の家族に比べたら‥」
など自分よりも大変な方々をあげては「がまんしなくっちゃな!」となります
我慢強い福島県民性が現れます
やはり
原発のある町のみなさんの今をもっと多くの日本人のみなさんに知ってもらうことが福島全体を支援する意味でも大切なのではと思います
会津に避難した大熊町のみなさん
そのほかの双相地域のみなさんもたくさん会津地方には避難されましたが
毎年の大雪が大変でいわきや郡山に移られた方々が多くいます
沿岸部はほとんど雪が降らないので
会津の雪が毎年本当に大変なようです
ですが
大熊のみなさんは現在でも多くの方々が会津にとどまっています
大熊小学校にも訪問してきたのですが
「会津のみなさんが本当に暖かい心で迎え入れてくれたおかげです」
といろいろと教えてくれました
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この三年間で様々な福島を見てきましたが
合併して大きくなった町などが多くあります
かつて合併が流行っていた頃があったのですが
大熊町も
もとは大野村と熊町村だったそうです
ですからこの小学校も大野小学校と熊町小学校という二つの小学校が同居していました
この避難先として受け入れてくれた会津若松市河東町も
もともとは
大和田地区と熊野堂地区が合併したそうで
二つを略すと”大熊”となる
そんな偶然のご縁も
長くこの地にとどまっていられる一つの意味なのかもしれません
地域の方も大熊の方々もこの偶然の一致を特別な事と受け止め
お互いが大切に交流を深めているようです
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大熊の方の多くは
家族を会津に住まわせて
お父さんはいわきに単身で暮らし
原発で働いている方が多いと聞きます
休みの日に2~3時間かけて家族に会いにやってくる
そんな家族が多くいるようです
”顔晴ろう大熊っ子”
会津では会津っ子と言うようですが
会津に避難している大熊の子供たちも負けないようにとこんな言葉もありました
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大熊の子供たちが通う幼稚園では先生たちとお話してきました
明日が入園式ですと忙しい中だったのですが
これまでのことを教えて下さいました
それぞれも被災者であるのですが
当時働いていた大熊の幼稚園とともに現在でもがんばって子供たちの面倒をみています
一人の先生に「震災当時に私のおかあさんが避難所でガソリンをもらいました!本当に助かった!」
と教えてくれました
震災当時いわきの沿岸部の避難所を巡っていたのですが
そこでお会いした方のご家族と会津で逢う事ができました
嬉しい事ではありますが
三年間避難生活をつづけながらも同じ避難生活者の面倒をみる
長く続く避難生活では避難先とのトラブルも増えて来ています
この大熊のみなさんはとても会津のみなさんと良い関係と聞きましたが
そうでない地域も多くあります
今では
ガソリンスタンドもスーパーもどんなお店も普通に営業している福島県ですが
問題はたくさん飛散した放射能と同じで簡単には除染できない深さにまでしみ込み
なおかつ大きな問題と成長し、それら新たな問題も生み出しているように思えます
政治や電力会社や他の都道府県にたいしての怒りや疎外感ではなく
福島県内での格差や方向性の違いなど衝突が増えて来ています
”震災復興”というこれまでの考え方ではない取り組みがここ福島では必要だと思います
4年目の今年は「福島県外からのおせっかい」を意識してより多くの地域と交流をもてるようにがんばっていきたいと思います
どうぞ
みなさま
これからもラブフォーニッポンをどうぞよろしくおねがいします
CandleJUNE

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