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6月の月命日を福島県楢葉町のみなさんとともに
はじめまして。
ネイリストのアカリと申します。
私は、今回初めてLOVE FOR NIPPONEの活動に参加させていただきました。
私がLOVE FOR NIPPONの活動を知ったのは4月末。
キャンドルJUNEさんや
LOVE FOR NIPPONで活動しているメンバーの方との出会いからでした。
月命日に福島の方々と笑顔で触れ合うことの話を聞いていたら
私も自分の目で見て肌で感じたくなった。
そして、
5年目の被災地。6月の月命日。
私はネイリストとして
LOVE FOR NIPPONの活動に参加させていただきました。
午前中、LOVE FOR NIPPONは
あおぞらこども園へ向かいました。
LOVE FOR NIPPONのメンバーたちと共に笑う子供達
たくさんの子供達の笑顔が溢れていた。
しかし、
そこにあるのは
仮設園舎だということ。
5年目を迎えている今でも仮設の建物にいる
子供達がいることを忘れてはいけないと思った。
次に、LOVE FOR NIPPONは
仮設住宅へ移動しました。
そこで私にできること。
ネイルをすること。
話を聞くこと。
楽しく話すこと。
ネイルをしていると
1人のお母さんが
私に話をしてくれました。
「仮設に来て2ヶ月くらいかな。ストレスでね、膠原病(こうげんびょう)になっちゃったのよ。」
と。
そう話すお母さんの手は
冷たく浮腫んでいた。
「今は痛くないから大丈夫よ。でも、薬もない難病だから、困っちゃう。」
私は膠原病という病気を初めて聞いた。
そして、それが難病だということも。
「私はね、本当は横浜にいたのよ。。。」
お母さんは話を続けた。
旦那さんの定年をきっかけに、旦那さんの希望で、実家がある福島で田舎暮らしを始めたと。横浜と行き来しながら生活をしていたと。
そんな時に震災が起こり、福島に住めなくなった私たちは、一旦は横浜に帰ったの。と。
しかし、横浜に帰ったお母さんに待っていたのは、被災者ということによる言葉の暴力。
「被災者がそんな指輪つけれるのね。」
「そんな服なんか着て、被災者じゃないみたいね。」
「お金もらってるのよね、あなた。」
言葉によるいじめは、
お母さんを苦しめた。
「私は、何もしてはいけないのかな?」
人目が気になり、
家から出れなくなった。
そして、
「逃げるように
仮設住宅に来たの。」
「でも膠原病になっちゃった。」
私はとても悲しくなった。
震災はどこまで人を傷つけるんだろ。と。
でも
そんなお母さんが
完成したネイルを見て
言ってくれた。
「震災がなければ、今日の日もなくて、あなたに会えなかったんだから。震災に感謝だわ。今日あなたに会えてよかったわ。」
と。
私が、ここにいる意味が
なんかあるようか気がして嬉しくて嬉しくて
病気で冷たいお母さんの手を
少しでも温かくなるように
握りしめました。
11日の月命日。
私は、また、
LOVE FOR NIPPONの一員として
福島に向かいたいと
思います。
そして、
今ある自分に
感謝して、
私は今日も笑います。
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6月11日 原災から4年と3ヶ月
LOVE FOR NIPPONは 福島県楢葉町あおぞらこども園へ、夕方からは仮設住宅の集会場へ伺いました。
私にとってこの1日は繋がる人々のあたたかさ、思いを感じ、各地からここに集まるラブフォーメンバーの心を感じる1日でした。
私はネイリストとしての参加ですが、午前中は子供達と一緒にたくさん遊びました。
あおぞらこども園、この場所は大学の敷地内に作られた仮設校舎。
教室の中にはたくさんの子供達と親御さんがいました。
みんなで一緒にキャンドルを作り、さしこに絵をかいたり、音楽を楽しみ、外に出ては運動場に作られた芝生の上に座り、ピエロさんのパフォーマンスを見て、わるたんとゆずたろうとピエロさんと一緒にいっぱいはしゃぎ、子供達の元気な笑顔がいっぱい溢れていました。
ピエロさん達は汗だくでパフォーマンスをして、子供達に笑顔を。
わるたん、ゆずたろうの体の中はサウナ状態だけど走りまわって、子供達の人気者。
みんなが笑顔になってほしいから。
汗だくのゆずたろうが言っていました。 ゆずたろうになると、沢山の子供達が楽しそうに笑ってくれるから嬉しいと。
来てくれていたお母さんが、『この場所に通うのに1時間以上かかるんです』と教えてくれました。
平日毎日遠い所からここに子供を送り迎えしている。
毎日の疲れで笑えない日もあるだろう。
でも今日は子供達の笑顔ももちろんですが、お母さん達も一緒になって楽しんでくれていました。
夕方から仮設住宅の集会場へ移動し、私はネイリストとして お母さん達の爪にネイルを。
この場所の訪問は初めてで状況が読めないと言う事もあり、ラブフォーの活動にいつも来てくれる郡山の仮設住宅に住むお母さん達にお知らせができなかったのですが、
お母さん達は郡山から駆けつけてくれていました。
お母さんは 笑顔で『連絡なかったけどJUNEさん驚かしてやろうと思って来たんだ~!』といって
『でもあんまり驚いてなかったけどな』
『男は喜んでてもあんまり顔に出さねから~』と笑っていました。
そのあとに『もう家族だからな』
『恩返ししなきゃなんねんだ』
『なーんにもないときにJUNEさんは来てくれたんだ』と、あの時を思い出すかのように話してくれました。
恐怖、不安、孤独を味わいながらも強くあたたかく生きるお母さん達。
気を使って集会場の外にいたお母さん達
ネイルしましょ!と集会場の中に入り、席に座ってもらい
手をさわらせてもらいました。
来てくれて嬉しかった。
何度が触ったお母さん達の手、今まで生きて来た証のように、しわしわだったり、関節が固くなっていたり、曲がっていたりといろんなことを感じます。
この日
一緒に東京から来ていた友達も私の側に座り、お母さんの話を聞きながらネイルが始まりました。
レディーストークに花が咲き
素敵な話を聞かせてもらいました。
この福島でたくさんの子供を育ててきたお母さんが
『子は宝だよ』と私達に話してくれたり、
お父さん今はもう空の上だけど、『あんな人にはなかなか出会えねぇ』と話してくれ、
お母さんの表情を見ると、たくさんの事が伝わってきました。
お父さんとの思い出がたくさん頭の中にうかんでいる表情がとても綺麗で、友達と私は『素敵だな~』といいながらお母さんに見とれていました。
お父さんとはどこで出逢ったのですか?と私が聞くと、
ダンスバーで出会ってお互いが好きになったんだと。
少女のように大好きなお父さんの話をきかせてくれました。
お父さんは仮設住宅で暮らしているときに亡くなられたそうです
こうして私達に微笑んで話しているお母さんの一言一言に心が揺れて、私と友達の目から涙が流れていました。
子供を育て、お父さんを愛し続け、そしてまた強く優しく生きている。
私の塗ったネイルを笑顔で眺めながら、キラキラと手を動かしながら
『大事にすっからよ!』と言ってくれました。
ありがとう。
私も お母さんみたいに めいっぱい生きます。
日が暮れてキャンドルが灯る中、ライブが始まりました。
それぞれの景色を心に思いながら歌を聞いている皆さんを見ていました。
青谷明日香さんの歌詞の中で
「この町が好き」
と繰り返すフレーズの時、涙を流していたおばあちゃんがいました。
きっと長く生きて来た自分の町を思い出していたんです。
仮設住宅に住む事になるなんて思いもしなかったでしょう。
町を元に戻す事は出来ないし
今もなお仮設住宅で暮らすお年寄りの方々。
言葉にならない気持ちを持ちながらふと周りを見渡すと、
同じ瞬間、ネイルの時に側にいた友達も涙がいっぱいあふれていました。
私もこらえきれませんでした。
すこしでもあたたかい時間を共に出来ますように。
もっともっと
みんなが繋がっていきますように。
ここに集まるみんなの気持ちが月命日のこの1日をつくりました。
私達は同じ日本で生きています。
一人一人が繋がり、これからの日本をつくりだしていけますように。