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9/11月命日を楢葉町のみなさんとともに
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9月の月命日に福島県楢葉町のみなさんが暮らす仮設住宅でイベントをおこなってきました
9,11はかつてアメリカで大きな悲しみが生まれた日です
多くの場所で悲しみが生まれました
その中でもとにかくNYのグラウンドゼロが多くの人の印象に残っています
3.11におきた大震災も
発災当時からいくつか呼び方も変わり
東北大震災といった名前で落ち着いたのでしょうか
メディアでは石巻の今、など津波被害地域は多くの場所にわたっていても
一部の被害地域に集中しています
津波被害も多かった福島に関しても
事故が起きている原発が今どうなのか?ということは取り上げられても
津波被害地域や県民の方々の避難生活の今は語られる事が少なくなってきました
ラブフォーニッポンは震災から3年経った今年からは
福島での活動をメインとしておこなってきています
福島各地で交流を持ってきていますが
原発周辺地域のみなさんとの交流を特に大切にしています
双葉郡は原発事故の被害もありますが同時に津波被害も受けています
9月の月命日は
原発からも近く津波被害も受けた町
楢葉町の仮設住宅にお邪魔してきました
楢葉町は来春には帰町宣言もしています
それを喜ぶ人と疑問に思う人
三年間避難生活を続けているいわき市にとどまりたいと思う方など
様々な想いをもつ方々と交流してきました
まだダムの底にたまっている放射性物質はどうるのか?など
ここの仮設で暮す方と役場の方とのやり取りなども見てきました
当日の天気は雨でしたが
みなさんも協力してくれてバーベキューなどの準備もみんなでおこないました
今回はラブフォーニッポンスターターである広末涼子さんも参加頂き
最初から最後まで仮設のみなさんとの交流を持って下さいました
塩竈からの海の幸や北海道のラブフォーニッポン理事からは
とてもおいしいお肉などが届き
バーベキューをみなさんといっしょに楽しみました
また陶芸家の松本さんも
子供が多いこの仮設ですこしでもみんなが楽しんでもらえるような土遊びを提案してくださいました
マッサージやビンゴゲームなど
いつもの仲間たちが
それぞれに仮設住宅のみなさんとの時間を楽しんでいました
こちらの仮設住宅は
住民のみなさんが積極的に避難先の地域のみなさんや幼稚園などと交流をもち
河川の草刈りなどにも参加して
すこしでも避難者と地域の方々との軋轢などが発生しないようにつとめていらっしゃいます
いわき市では多数の双葉郡のみなさんが避難されて来た事で
いろいろな問題も発生しています
この日も夜には幼稚園の先生方も参加してくださり
ラビラビさんのライブにあわせてみんなで踊るという一幕も生まれました
楢葉町との繋がりは
今年の3月11日福島県庁とおこなったキャンドルナイトから生まれました
県庁担当職員の方が楢葉町出身の松本さんでした
ご自身も津波被害にあい
家が無くなり避難生活者となったものの
役場の人間は町のみなさんのためにと働き続けました
双葉郡の役場で働くみなさん多くに当てはまるのですが
自らも被災しているにもかかわらず
町のみなさんの苦情を聞いたり
支援活動をおこない続けて来ています
松本さんは役場から県庁へ出向となり
一人福島市で暮しています
松本さんと出会いは3/11で終わる事なく
毎月の月命日におこなうイベントがどこであろうと
可能な限りお手伝いに来て下さっています
この日の最後に楽しそうに踊っている松本さんをみました
同級生が暮していたり
その子供がいるこの仮設で
先輩の役場職員の方と一緒になって楽しんでいる姿を見る事ができました
同じ町に暮し育ち
苦楽をともにするのがちいさな町の日常
原発が建つということはその小さな町の人たち同士の軋轢を生み
戦わせたくさんのお金や噂がちいさなコミニティを崩壊させてきました
平和利用と言われた原発はたくさんの悲しみを生み続け
そして事故が起きた今も
同じ町の人同士が
ぶつかり合っています
震災から4年が経とうとしていますが
同じ被災者である役場の人達は
町の人達の苦情をずっと聞き続けて来ています
これは楢葉町のことだけでなく双葉郡も浜通りも福島県すべてにおいても言える事です
すこしでも多くの方達が
月命日に笑顔でともに過ごせるように
これからも活動を続けていきたいと思います
みなさん
どうぞ
これからもラブフォーニッポンをよろしくお願い致します
CandleJUNE