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LFN ROAD 3.11 at 宮城県大崎市
LFN ROAD at 宮城県大崎市
LOVE FOR NIPPON ROAD 2012.3.11(sun)
キャンドルナイトinおおさき~復興への灯り~
ラブフォーニッポンが東日本大震災から1年となる3月11日に
福島、宮城4ヶ所にて現地活動を行う中
自分達のチームは宮城県大崎市で行われる“キャンドルナイトinおおさき”に参加してきました。
この催しは地元の青年会議所が主催しているもので
そのメンバーのみなさんからは早い段階から参加依頼を頂いており
LOVE FOR NIPPONが宮城県岩沼市などで活動する時にも
手伝いに来て頂くなどして交流を持ってきました。
震災によって大崎地域は一市四町では死者6名、行方不明者3名、全壊した家屋832棟、半壊が3454棟という被害を受けましたが
被害の大きさは比べるものでもないことを前提でありつつも
沿岸部よりも被害の規模は小さかったため、報道されることはほとんどありませんでした。
大崎市のみなさんは「沿岸部の津波の惨状に比べれば…」と手を取り合い、歯を食いしばって
この未曾有の災害を乗り切ろうと未来を見つめ、前に進み続けてきたと聞きます。
そして1年を迎える3月11日に改めての追悼と、沿岸部の方々へのエールを贈るため、またこの震災を、そこから得た教訓を風化させず後世へ残していくための開催となりました。
当初からLOVE FOR NIPPONの3月11日の動きはある程度考えていた部分もあり
現地アクションが重なるため、割ける労力、スタッフなどは限られていましたが
それでも「できることは何でもして行こう」という想いで
Candle JUNEさんのロウソクを灯すことと、LOVE FOR NIPPONスターターのみなさんからメッセージを頂き
それを届けること、また、伝手プロジェクトさんのご協で大道芸人のパフォーマンスとマッサージ、メイクのサービスも届けられることが決定しました。
イベントは14:46の黙祷をもって始まりました。
出店は14:00~だったためすでに会場には多くの方が集まっており
2011年3月11日のあの時から一年、その時を会場にいらっしゃる全員で静かに黙祷を捧げました。
その後イベントがスタート、
会場は地元の商工会や商店からの出店で賑わいを見せました。
スターターのみなさんから預かったメッセージボードは会場の中心に飾られ
多くの方が熱心にメッセージを読みながら、また記念撮影をされて行かれました。
夜には5000個を超すキャンドルが灯されるということで
メッセージか書かれたキャンドルホルダーからひな壇に並べられていきます。
ステージでは、大道芸人のみなさんがパフォーマンスをはじめ、大いに会場を盛り上げていました。
LOVE FOR NIPPONでは恒例になっている大道芸人さんのステージですが
実はみなさんそれぞれがすごい経歴の持ち主の方ばかりで、それを会場でも説明したところ驚く声が上がっていました。
その後、暗くなってくると共に会場ではキャンドルの準備も急ピッチで進められ、
自分達も会場の展開をアドバイスしながらCandle JUNEさんから預かったロウソクを並べていきました。
日も沈むころ、メッセージが書かれたキャンドルと沢山のグラスキャンドルが灯され
JUNEさんのロウソクも灯されました。
キャンドルは街を表す球体とそれを囲う大崎を流れる江合川を表す「青龍」というきれいなモニュメントの周りに展開し
それを沢山のみなさんで囲うように、静かな夜を迎えました。
19:00前には復興を記念する花火が打ち上げられました。
それを見ながら涙を流す方もいらっしゃり、また同行した女性スタッフ(彼女自身も福島県浪江町の出身で、家族が被災しました)も様々な想いがあったのか、空を見上げる目からは涙が溢れていました。
自分自身も、福島県双葉町に暮らす家族が被災し、直後に起こった原発事故によって先の見えない避難生活を送っています。
そんな中で、ただひたすらにできることを続けてきました。
なにか出来ないか?と思った発災直後から、いまではそういった思いを抱えている方々に
“できることは沢山あるんだ”ということを伝え、またその機会を提供する立場になり
福島宮城のみなさん、また沢山のご協力を頂いている「CREW」のみなさんとも交流を持たせて頂くことができました。
これは奢りと取られるかもしれませんが
「自分一人」では何もできなくとも、それを手伝いたいと思って頂いている方は
想像以上にたくさんいらっしゃることがわかりました。
その想いをしっかり形にする意味でも、常に現地ニーズを汲取り、
的確な支援の方法が提案できるように、
ただ「ひたすら」ではなく
効果的な活動を行っていきたいと思います。
次のフェーズに入っていく復興計画や原発事故処理、またその補償–––––。
先は長いと思ってしまいますが
今しかできないことは沢山あるはずで、このタイミングで出来うることはすべてやっていきたいと考えています。
最後に
いつもご支援頂いているみなさんと現地で協力して頂いているみなさん、
また宮城福島関わらずいつも駆けつけて手伝ってくれている宮城県栗原市のみんなへ感謝致します。
ありがとうございました。