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3月11日はいわき市南台仮設住宅にてSONG OF THR EARTH FUKUSHIMAを開催しました。

震災から7年の3月11日は
福島県いわき市南台仮設住宅にて
双葉町の皆さんと「ソングオブジアース福島」を開催させてもらいました

SONG OF THE EARTH FUKUSHIMA -CANDLE11th-(SOTE311)ありがとうございました!

昨年は郡山市にある富岡町、川内村の皆さんが暮らす仮設住宅での開催でしたが
今年はいわき市にある双葉町仮設住宅となりました

被災地域の仮設住宅の多くはこの春に終わりを迎えて行きますが
こちらの仮設は延長されて、今年もここで暮らし続ける方々がいらっしゃいます

3月11日
毎年この日のために東京、福島のスタッフの皆さんは半年前から準備をしてくださっています
今年も
県内外の多くの方が集まりやすい郡山での開催を検討していましたが
風化激しい中、改めて原発がある町「双葉町」の皆さんが暮らす仮設住宅で行う
そして津波被害もひどかったいわき市でとなりました

ラブフォーニッポンが震災当時、最初に支援に入った場所が福島県いわき市の沿岸部でした
原発事故も起きましたが津波被害に遭われた皆さんたちへの支援を優先しました
その後も
原発周辺地域である双葉郡の皆さんが暮らす避難所、仮設住宅を訪問し続けました

月日が流れ
帰村が始まり、元の町村に戻られる方
避難先で家を見つけた方、復興住宅に移られた方と様々いますが
双葉郡の多くの方々はここ、いわき市に暮らしています

仮設住宅でのイベント開催ということは
通常ではなかなか考えられないことですが
双葉町の皆さんと地域の皆さんのご理解があって実現しました

当日は
予想をはるかに超える来場者でしたが
会津からの援軍「東北ライブハウス大作戦猪苗代チーム」が無償でマイクロバスを2台出してくれて
最寄り駅から会場までをずっと走ってくれたり
地域の産廃業者「あすかクリーン」さんは無償でゴミの処理を行なってくれたりと
本当にたくさんの協力により
事故もなく無事に終わることができました

支援に行っているのに
支援先の福島の皆さんに助けられている

そう言われてしまうかもしれませんが
県内から来てくださっている方々が

「家にいないで来てよかった」
「またやってほしいです」
「とっても楽しかったです」とおっしゃってくださり

県外から来られた方々も
「やっぱり来てよかった」
「来ないとわからないことがある」
「たくさんいろんなことを教わりました」
「これまでずっと何もしなかったけどこれる機会を作ってくれてありがとう」
と声をかけてくれました

「復興」とは何なのか?

ずっと考えています

「支援」「自立」「復興」

まだまだ「支援」が必要という方々はたくさんいらっしゃいます

「自立を促す」という言葉自体には疑問を持ってしまいますが
確かに7年が経ち「再開」したり「復活」した事業者さんも多くいらっしゃいます

でも「復興」とは誰の目線でどんなことを言うのか?

実際被災された方々に聞いても
個人的な「再開」や「復活」は実感できるし表現もできる
でも
「復興」となると「まだまだ大変な人もいるしね」となります

そしてそれが何年目の3月11日に実感できたらいいのか?
と言うことでもないようです

自分はこう思います

新潟中越地震から立ち上がった仲間たちが今年の311の現場にいました
個人個人で色々と考え方や想いなどは違うかと思いますが
それでも
かつての被災者が
今の被災者の支援を行っている姿

そして今の被災者でもある福島の皆さんも
支援者の私たちと一緒になって、大切な命日にお祭りを作っている形

まだまだ今年の段階では言葉には言えませんが
こうしてできる3月11日を毎年みんなで作っていくことができたら
きっといつか
「復興」したよね
と被災地域の皆さん自身が思える時が来ると思っています

発災当時
「復興」を目指して頑張ろう!!と
約束をした人がたくさんいます

それは決して市町村とか県とかの「復興」ではなく
その人自身の「復興」と考えていましたが
結局
その個人が幸せに暮らすためには
その地域の「復興」が必要で
バラバラになってしまった地域の「復興」をせずに
個人の「復興」はないなと思ってしまいます

改めて
来年の3月11日が今年の3月11日より
もっと良い1日になれるように
4月からの月命日の1日を大切に作っていきたいと思いました

震災から3年間
3月11日のイベントでは福島の皆さんに謝って来ました
「大した支援ができなくて」
「できないことはできる友達呼んで来るから」
「それでもやっぱりできませんでした。。。」

色々反省しては謝っていました

4年目からは
「ありがとう」を伝えるようになりました
「自分たちを待っていてくれて」
「ずっと一緒に活動してくれる福島の皆さんに対して」
ありがとうございますと

8年目を迎えた今年
皆さんに伝えました

風評被害とかいじめ問題とか
補償金格差による県民同士の軋轢など県内を色々回っていると
たくさん見聞きします
やっぱり「ありがとう」とかではなく
いろんな問題をなんとかしたい!!
皆さんに伝えました

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「福島原発」と言う名前を変えたい

岩手や宮城は津波被害地域のニュースばかりが流れますが
福島といったら「福島原発」のことばかり

福島=原発
このイメージから
原発事故で出た放射能は福島県内のみにしか降らなかったかのごとく
福島=危ないのでは
となってしまっています

東京電力第1,第2、、、。

国内のすべての原発も立地地域名ではなく
各電力会社のナンバリングにすべきではないでしょうか

本来数値という物差しが正しいものであれば
なぜ?福島のものばかりを検査しなければいけないのか?

そしてなぜ数値が高い地域全てに避難勧告が出されなかったのか

この物差しを曖昧にしてしまっている結果
イメージでの風評やいじめが起きているのだと思っています

まずは原発の名前を変えよう

そして福島県の一番の産業として
世界で一番厳しい安全基準
「福島基準」という産業を起こそう

放射能だけでなく
農薬は?添加物は?そのほかの公害は?
もっとも厳しい安全基準を作るということは世界を測るということ

まだ稼働している原発は世界にたくさんあります
核廃棄物も核兵器も
本当の安全や安心はどこにあるのか
そしてそれらを欲するのはお金持ちの方々のはず
十分な産業になるはずです

この福島で起きたことから学び
もう同じような悲しみを誰も味わうことなきように
することが
本当の意味での「復興」ではないか

「福島のせいで汚染された」
「福島のせいで物が売れなくなった」

正確には
「福島にある東京電力の原発事故が原因で汚染された」
「福島にある東京電力の原発事故後放射能数値の曖昧さから福島の産物
もしくは福島の近くの産物であるという理由から物が売れなくなった」

だと思います

福島県知事はじめ行政のトップの皆さんは

「福島のものこそ安全です」
と言います
正確には
「福島のものの中で全品放射線量検査してクリアしているものは安全です
福島県外にも放射能は飛んでいきましたが、そちらの地域は検査していますか?
検査してクリアされたものが出荷されているのでそのものについては安全なのです」

このお互いのグレーに感じてしまう原因
福島とはどんなイメージなのか
そのイメージを変えるためにも

原発の名前を変えて
そして
本当の安全、安心のための物差しを作ること
こんなことを
なんとか原発事故から10年を迎えるときまでには
スタートが切れたらと
皆さんに話すことで約束をしました

いつの日か
世界中の人たちから
「福島のおかげで世界が変わったよ。ありがとう!」と
シンプルに言ってもらえるように

そしてその時が
自分の仕事である
追悼のともしびを灯せる時だと思っています

これからも毎月11日は
みんなで
「たのしいね うれしいね おいしいね ありがとう!」
って思える1日を作り
まだまだ元気でやってますよ!と
亡くなられた方々へ伝えるためのともしびを灯していきます

4月11日は福島市にある復興住宅で開催となります

またその直後は熊本地震から2年
熊本での活動となります

ラブフォーニッポンはみなさまからの支援で活動が継続できております
引き続きどうぞよろしくお願いいたします

CANDLE JUNE

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